【教師に必要なこと】先入観なしで生徒を見ることの大切さ

教師の一言が生徒に想像以上のショックを与えることもある

 教師は生徒を評価することを日常的に行う仕事です。だからその言動が生徒の心に大きな影響を与えてしまうこともあります。

 もう20年以上前になりますが、私が自分の塾を始める前に講師をしていた塾であった話です。

 こんな生徒がいました。

 彼は、ある中学校でかなり悪い生徒という評価を受けていて、学校も行ったり行かなかったりを繰り返していました。

 学校へ行っても、保健室に行ってそこで半日くらいを過ごし、帰宅することが多かったのです。

 ただ、これは中学校ではよくある措置のようです。学習進度の関係であったり、生徒の状況に合わせたカウンセリング的な意味があるのでしょう。珍しいことではありません。

 一方、塾では別段悪いことをする様子も全くなく、ごく真面目な生徒でした。

 他の生徒と違うのは、大人と同じくらいのがっしりとした体格であったことぐらいです。

 むしろ勉強に対してはとても真剣でした。

知的好奇心が満たされてうれしいのは誰も同じ

 彼が言うには「保健室の先生以外では、初めてきちんと教えてもらった」という話でした。だから何もかも新鮮でやる気があったのかも知れません。

 質問も積極的にしてきて、その後も順調に学習は進みました。

 詳しく話を聞くと、生徒が問題を起こした後は、学校ではどの先生も行動のことはいろいろ注意してきましたが、勉強についてはほとんど関与してくれない状態だったようです。

 ここからは彼の話からだけでの私の推測ですが、先生たちはその生徒が怖かったのではないかと思います。それで積極的な関与を避けたように感じられました。

もともとは勉強ができない生徒ではなかったのですが、そんな事情でその後学習についてはほぼ白紙の状態になっていたようです。

 平易な眼で常に生徒を見ることの大切さ

 その生徒はその後次第にできるようになっていきました。

 そして、たまに保健室でなく通常の教室で授業を受けた日に、授業中発言をしたそうです。彼は皆ができない内容をその時答えることができたのです。かなり本人の努力による学習の効果が出てきていたのだと思います。

 しかしその時先生は「授業も受けないのに、おまえどこで覚えたの?」と言ったそうです。

 それを聞いて当時の私は、なぜ褒めないんだろうと思うと同時に、そんな言い方をされて当人がどれくらいショックを受けるのか想像がつかないのだろうかと大変驚きました。

 先生としては、自分の授業を受けていないのに出来るのが不愉快という気持ちもあったのかもしれませんが、生徒に対する対応としては明らかに間違っていると思いました。 

 もしそこで先生が大いに褒めていれば、きっとその日は彼の人生の記憶に残るすばらしい授業になっていたはずです。

 彼の人生を変える最高の教師になる機会を、その先生は自ら放棄してしまったのです。

学力は人柄とはまた別のもの

 これと正反対の経験があります。

 その生徒は人当たりが良く誰にも明るく接して素直で、クラスや学年でもリーダーシップを発揮するようなタイプの生徒でした。

 もちろん私も、その生徒の人柄や幅広い能力を中学生なのに大したものだと感じていました。

 この生徒は受験前に志望校をどうしようか迷っていましたが、一つ問題がありました。

 内申点と実力がアンバランスという問題です。内申点に対して実力が非常に足りなかったのです。

 私が客観的に見ても、学校の先生の評定のつけ方には問題があるような気がしました。

 50点台のテストがあっても4の評定がついていたりしました。

 ただ、こういう評価をする先生は少なからずいます。逆に90点台でも3とかつけられることもあるので今の内申制度では珍しいことではありません。

 そして、この生徒が進路のことを先生に相談すると「大丈夫、あなたなら受かるから」というような答えが返ってくることが多かったようです。

さらに保護者会でもそんな話だったというのを聞いて、私は大変危機感を持ちました。

 模試のデータを見ると内申点は非常に高いものの、とても合格水準に届くような点数は取れていません。間違いなく不合格です。

 それで私たちはどうしたらよいかさまざまな角度から真剣に検討して、本人とも何回も話し合って志望校を変えて受験するプランを決めました。

 無事合格をしましたが、学校では複数の先生から「どうして〇〇を受けなかったの、もったいない」などということを言われたようです。

生徒に対する教師の責任とは?

 今回は正反対の2つの例を上げましたが、ここで私が伝えたいことは、教師は生徒に学科の指導を行うときには、虚心坦懐に学力のことを客観的に評価して、その生徒の最適な学習を考えてあげるべきだということです。

 生徒の素行が悪ければ、それが怖くて指導を行わなかったり、逆に生徒が良い子であれば、客観的に生徒の実力を測ることなしに無責任に褒めっぱなしにしたりするということは、およそ教師のすべき行動ではありません。

 もちろん態度が悪ければそれを厳しくしかり、評価できる良い行動をすればそれを大いに褒めるべきですが、それと勉強を教えるということはまた別のことです。

 学校の先生も人間ですから、主観的な好き嫌いや、話しやすい、あるいは逆に話しにくくて怖いなど生徒に対する気持ちはあると思います。

 しかしプロであれば、生徒が自分の指導を受けるために席に座った瞬間から、生徒の学業のことを客観的に見つめて指導をすることが求められていると思います。

 それでもどうしても感情に左右されてしまうという方は、今の目の前の生徒ではなく、未来の生徒の姿を思い浮かべて指導をすれば、こういうことを避けられると思います。

是非彼や彼女が、将来社会で活躍している姿を思い描いてみてください。きっと、そのためにどうしてあげればいいかをあなたも自然に考えるようになります。

 今の態度が気に入らなくても、必要なことは指導しようと思うはずですし、すごく素晴らしい言行の生徒であっても、できていないことはきちんと改善させなければと思うはずです。

 受験シーズンが始まり生徒の内申点のことを考えていたら、急に昔あったこの2つの出来事を思い出しましたので、今日は書いてみました。

 これから教師としての人生を送る方には、どうか自分のその時々の感情や主観だけで生徒と接することは極力最低限にして、プロとして生徒のことを客観的に考えてあげる指導をしてもらいたいと心から願っています。

  今後も皆さんのお役に立つ経験談などをアップしていきます。


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