【教師に求められること】教師が決して持ってはいけない甘さとは?

語順がわからない生徒にどう教えるか

 英語の指導をしていると結構見かけるのが、語順がよくわからないという生徒です。

 たとえば並び替えで、「私はその犬を昨日見ました」という問題に、

I the dog watched yesterday . などという答えを書いたりします。

 こういう解答を見るとすぐ「普通まず、主語が来て動詞が来るだろう」などと教えようとする教師もいます。

そうすると、生徒はますます「何それ?」という顔になります。

 当たり前ですね。英語の主語や動詞がわかるレベルの段階なら、語順がわからない訳はありません。そんな段階ではないのです。

 こういう場合は、「まず、人が来て」「次に、やることが来て」という感じでイメージが浮かぶように説明をしていきます。

それでも混乱しているようなら、日本語で語順を確認していきます。

「私」「見たよ」「その犬を」「昨日ね」といった具合です。

 それをいくつもいくつも繰り返して、ようやく規則性に気が付き「そうか」というところにたどりつくものです。

 「この場合、『犬』は目的語だろう、わかるよな。なぜわからない?」というような感じで授業をしている教師を、昔講師をやっていた頃に見たことがあります。

 「(そんな教え方がダメなのを)なぜ、お前こそわからないか?」と思ずツッコミを入れたくなったのを覚えています。

自分の物差しは生徒のそれと違う

 前にも書きましたが、教師のあなたの持っている物差しは、生徒の持っている物差しとおそらく一緒のものではありません。

 だから、生徒がわからないのがどのレベルなのかを、あなたは簡単には探せないと思った方が良いと思います。

 並び替えは中学英語では易しい部類の問題になりますが、だからと言って、どの生徒も楽々できるわけではありません。

 生徒のことをつかめない教師は、たとえば、英作文を除いて他のタイプの問題ができるのに、並び替えだけ苦手な生徒の存在というものを認めることができません。

 他もできるのに、簡単な並び替えができないはずはないと思い込むからです。そして本人がどこでわかっていないかを精密に考えることなしに、「できるはず」という先入観で説明するから、生徒はさらに首をかしげることになります。

 実に色々なところでわからなくなっている生徒がいます。生徒の解答状況の分析をしっかり行えば、間違いにはもちろん一定のパターンがあるけれども、微妙に人により異なることはすぐわかるはずです。

受け身の意味を日本語でもわからない生徒はたくさんいる

 中学英語では受動態(受け身)を習いますが、教師側の意識では、その後に出てくる現在完了よりも、ずっとわかりやすい概念だと感じるのが普通だと思います。

 しかし、実際に生徒が受動態をスラスラできるのかというと、そうでもありません。ひどく混乱してしまう生徒もいます。

 よく分析してみると、受け身というのがどういうことなのかわからないまま、英語の受け身を学習している生徒がいることがわかります。

 たとえば一定数の生徒は、「彼は、そのネコが好き」というのを、日本語でうまく受け身の文にできません。

「そのネコが彼を好き」と言ったりします。正しくは「そのネコは彼に好かれる」ですね。

 しかし、何回かやってもなかなかわからないこともあります。

 だから受動態がわからない生徒には、最初にまず日本語で能動態を受動態に変えさせる問答から始めなくてはなりません。

 できる人は「そんなのわかるはず」と口をそろえて言います。教師ならなおさらそう思うでしょう。

 しかし私が授業をやっていた頃の経験では、日本語で最初からスッと受け身の文に言い換えられる生徒の割合は、いつも3割程度以内だったように思います。個別では3人に1人くらいです。

 驚くほど受け身という概念が、国語でも理解されていないということが言えると思います。

受け身の基本だけでもステップがたくさんある

そして、受け身の指導は具体的には次のような手順になります。

①まず、日本語で受け身にすることができるように練習できたら(上記)、

②その次に、問題になる英語の能動態の肯定文を見せて、それを実際に日本語に直させます。

③その日本語を先ほどの練習通り受け身の文にできるかどうか、もう一度しっかり確かめます。(できない場合は①へ戻る)

⓸次にいよいよ be+過去分詞 の受動態の公式を教え、過去分詞がわからない場合は、そこももう一度確認します。

⑤そして by(~によって)の説明をして、どの位置に来るかを教えます。

⑥さらに by の後ろが代名詞の場合に目的格(me や her など)になることを説明します。

⑦「誰が・何が」という部分が「誰によって・何によって」という所に来て逆になることをよく確認して、位置と順番を覚えてもらいます。

 そして、ようやく受動態への書き換えの練習の本格スタートになります。

 もちろん⓸以降は一度説明しただけではとてもできませんので、実際には問題をやりながら順に教えることになるでしょう。

 これらはテキストではわずか数行で書いてあることですが、生徒が理解をしっかりするにはスタートしてからここまでに、これだけのステップが必要となります。

「これくらいならわかってくれるはず」という甘さ

 どうでしょうか?

 英語教師の皆さんは、受動態の指導をする際に生徒に合わせてここまで段階を踏んで指導をしていますか?

「このくらいのことはわかっているはず」という甘さはありませんでしたか?

 指導開始後3時間目くらいで Was the cat liked by her ? を 能動態に直せないのを見て、生徒を勉強不足だと思ったりしていませんでしたか?

(一般動詞を含む受動態の過去の疑問文を能動態の疑問文に書き換えるまでには、少なくとも上記のステップの3倍以上の段階が必要だと思います)

 あなたの前にいる生徒は、決して中学2年生(または3年生)の標準的な学生で「この程度は当然できるはずの」抽象的なA君ではありません。

 常にあなたの前には、具体的にアンバランスな学習上の悩みを持つ生徒がいます。

 たとえば今日あなたの前に座っているのは、理数系科目では大学生顔負けの知識を持ちテストでも高得点を取るのに、その反面英語については、ひどく混乱して困っていて、学校に来る前に「英語がこんなにできないんじゃ高校はどうしたらいいのかね」とお母さんに言われて泣けそうになったタナカ君なのです。

 英単語はすぐ覚えて、クラスのみんなに「タナカ君の単語力はすごい」と称賛されるのに、語順の問題だけなぜか全くわからなくなってしまうタナカ君がいるのです。

良くも悪くも、先入観を持って見てはいけません。

  (*人物名も状況もすべて架空の話です。念のため)

 そういう一人一人違う状況にある生徒に、同じような教え方で問題が解決するはずもありません。

 学校の授業では限界があるかもしれませんが、生徒一人一人がどこでわからなくなってしまっているのかについては、教師は常に妥協を持たず遡って凝視しつづけなくてはなりません。

 そしてその際に絶対に禁句なのが「これくらいならわかるはず」という言葉です。

 この言葉には「これくらいならわかってくれるはず」という教師の生徒に対する甘えが含まれています。

これこそが、教師が決して持ってはいけない甘さです。

 そしてこれについては、私が生徒に代わってお答えしたいと思います。

「生徒は絶対にわかってはくれません」

「あなたが生徒がわかるところまで降りていくしか方法はありません」

 今後も皆さまのお役に立つ指導のヒントをアップしていきます。

“【教師に求められること】教師が決して持ってはいけない甘さとは?” への2件の返信

  1. やはり自分には甘さがありました。時間という枠の中でとことん理解できるまで指導して、生徒の笑顔を見たいと思いました。ありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA