【二元論の限界】白か黒かを決めたがることが間違いの元

オール・オア・ナッシングの思考

 何か物事を判断するときに、「こうでなくてはいけない」という考えに陥るのが、人の思考に限界を作ることを以前記事で書きましたが、このような考えに至るのは選択肢が少ないからだとおもいます。

「AかBか」という二つの選択しかなければ、AがダメならBしかないということになってしまいます。 

 最近の例で言えば「勝ち組・負け組」というような表現があります。

 本当にメディアは無責任で、こういう言葉を流通させては人の心を刺激します。

 私はとても嫌いな言葉なのですが、これなどは二元論の一番典型例です。

「すべてか」そうでなければ「無か」というオール・オア・ナッシングの発想をするこのような考え方は、思考を停止に追い込む危険があります。

 特に私たち日本人の思考の傾向には、このような二元論的な発想があると指摘している人もいます。

白か黒かを前提に生きると人生は大変

 こういう二元論的な考えに取りつかれると、メンタル的にきつくなることが多いと思います。

たとえば「有名大学に行ったから勝ち組」「高卒だから負け組」

こういう判断をしてしまう人が日本人には実に多いように思います。

しかし現実は間違いなく違います。

東大を出て大きな仕事をして成功している人もいるし、逆に仕事に就けない人もいます。

高卒で上手くいってない人もいるし、大成功を収めている人もたくさんいます。

何か1つのアイテムですべてを判断することが間違っているのです。

このような先入観を持っていると、常に「自分はどっちだろう」という恐怖の中で暮らさなくてはいけなくなります。自分を追い込むばかりです。

本当は白と黒の間に灰色があることをみんな気づいている

 おそらく白か黒かの発想をしてしまう人も、白と黒の間に灰色があることには気づいています。

知っているけれども気になってしまうということなのだと思います。

なぜそれがわかるかと言えば、私自身が昔からかなり「白か黒か」の発想をする人間だったからです。

 司法試験を受験しているとき、「司法試験に受からなければ、自分の人生は何も始まらない」と考えていました。

そしてそれを目標に猛勉強をしていました。

朝5時から夜中の11時まで勉強をするなんて馬鹿なこともよくやっていました。

しかし結果は出ませんでした。

 でも司法試験に受からなくても、何一つ困ったことはおきませんでした。

 むしろ今はその失敗を生かして、学習には工夫こそが必要であることを伝えることができるようになりました。

 また、そこで学んだいろいろなノウハウを世の中に提案できるようになり、かえって、そのことが今はとても役に立っています。

 その当時を振り返ると、確かに白と黒の間にある灰色のゾーンを自分は良く知っていました。でも結果を出したかったから無理に「これしかない」と思い込むようにしていたのだと思います。

 世の中のことは、どんな物事にも多様な面があります。

1つがダメになったらすべてダメになるとか、1つ上手くいけば全部上手くいくとかいう単純なことは何もないと思います。

ステレオタイプの思考をやめる

 最近特に気になるのが、この勝ち組負け組の発想とともに最近やたらにレポートされる、親の資産が子の進路を決めるという情報です。

 確かにデータ的にはあるのだと思いますが、そんなものは現実の一面でしかありません。

 いろいろ工夫すれば手はたくさんあります。それを報道する人がよく知らないだけのように思います。

 こういうレポートで、子どものやる気がそがれてしまうことが本当に心配です。

 「格差社会、格差社会」と言っている人が、実は一番格差社会を求めているのかもしれません。

この世には勝ち組も負け組もありません。

いるのはそれぞれの事情を抱えた一人一人の個人だけです。

 私はステレオタイプの考え方が嫌いです。人を1つのグループでまとめて評価するなどということはそもそも不可能だと思います。

 皆さんも、勝ち組負け組というような風潮に惑わされないように生きて欲しいと思います。

今後も皆さんのお役にたつ情報をアップしていきます。


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