【この世界の秘密】この世を支配する法則「因果律」

因果律の存在しない世界

 前回、量子力学の世界で「因果律の存在しない世界」が認められつつある話を書きましたが、http://wizzseiun.com/2020/01/25/schrodinger/

因果律についてもう少し書きたいと思います。

因果律とは「このことがあるから、この結果が生じる」という因果関係が成立するという法則です。

 なぜ世界には因果律が存在するのでしょうか。

 皆さんは、そのことを深く考えてみたことがあるでしょうか。

あまりにあるのが当たり前すぎて、考えてみたことがある方はあまりいないのではないかと思います。

 この世に当たり前に存在していて意識していないものとしては、他にも「時間」というものがあります。

 「時間」がこの世に存在しているのが当たり前なので、なぜ時間が存在しているかと聞かれても「?」となります。

「時間」も「因果律」も当たり前すぎて、「ない」ということが想像しにくい点では共通のものと言えるでしょう。

 しかし時間については、前に書いたように最近カルロ・ロヴェッリによって「時間は存在しない」という主張がされています。http://wizzseiun.com/2019/12/31/five-minute-hypothesis/

 これまで当然とされてきたことが、実はそうではないかも知れないとされることもあるのです。

 「考える」ということは人間にとって根幹ともなる能力です。

「こうに違いない」「こうに決まっている」と言って、そこからは考えないといだけでは面白くありませんね。

 今回は因果律がないとどんなことになるのか、考えてみたいと思います。

因果律があることによるメリット

 もしこの世界に因果律がなかったとすると、初めに物事の「結果ありき」ということになります。因果律がないと「結果」という言葉もなくなると思いますが、ここでは説明の都合上「結果」という言葉を使います。

「試験に合格した」

「企業に就職できた」

「プレゼンに成功した」

「取引先と契約を結べた」

という「結果」がまず起こります。

 しかし因果律がありませんから、「何かをやったからこのことが起こった」ということにはなりません。

 具体的な所まで想像するのはなかなか難しいのですが、おそらく「原因がない」あるいは「初めからこうして起こったと決まっている」ことになると思います。

 物理的な現象であれば、「ボールを投げたからガラスが割れる」というというようなことはなくなり、「ガラスが割れた」という「結果」がまず現れます。

「なぜか割れた」または「初めからボールが飛んで割れることが決まっていた」ということになるでしょう。

 表現するのが難しいですが、現在の事実があって未来の結果が生じるのではなく、未来の結果から過去が決まるという感じになるのではないかと思います。

 そうするとどうなるでしょうか。

たとえば

「一生懸命勉強をする」→「試験に合格する」

「就職活動を頑張る」→「企業に就職できる」

 ということがなくなりますから、人が興味を持つ対象は「結果」のみになります。どのような行動をとってもすでに「結果」は決まっているからです。

 そうなるとどうなるかというと、努力をしてもしなくても「結果」は同じですから、人は何のために生きていくのか、目標を持つことができなくなってしまいます。

 だから因果律があることで、人は結果に対して原因となる事実を積み上げていこうとする目標を持つことができるというメリットがあると言えます。

因果律が与えられている意味

 このことから言えることは何でしょうか?

 まず、因果律というものがこの世界にあるために、人は努力ということをするようになったということが言えると思います。

 私たちが「結果」を出そうと頑張るのは、「原因」を上手く作り出せば「良い結果」が必ず生じるということを信じて疑わないからです。

そこには大前提として因果律は不変に存在するということがあります。

 次に言えることは、因果律があることは平素人間が活動する要因としてとても重要なことであるということです。

 人間が日々活動をする理由は、どんな物事でも「結果」を出すために「原因」行動を避けて通ることができないからです。そのために人間は積極的に行動をする生き物になったのだと思われます。

不思議さを感じることはできますか

 世界に因果律があることは当然なんですが、こういうメリットを考えると、因果律がこの世界にあることは「当たり前」のことではなく、とても「特徴のあること」であることに気がつきます。

 実は不思議なことなんです。当たり前すぎて不思議さを感じる人はあまりいないかもしれませんが…。

 こういう言い方をすると語弊があるかもしれませんが、因果律こそが神や創造主がこの世界の唯一のルールとして指定した決まりのような気がしてなりません。

そう思うのは、因果律が人間の進歩のために絶妙の効果を生むことのできるルールになっているからです。

前回書いたようにミクロの世界では因果律が存在しない可能性があるのですから、因果律はすべての世界で不変でもないことがすでに証明されています。

 だからマクロの世界でも、因果律のない世界を創造しても全然良かったはずなのに、あえて因果律のある世界になっているのは何か意味があるのかも知れません。 

仮に因果律のない世界であれば、人間は努力をすることを一切しなくなり、人類は早々に滅びてしまったのではないでしょうか。

 私たちは因果律の支配するこの世界に生きていることを感謝すべきかも知れません。

何しろ「原因」になることを行えば、必ず「結果」が起こるからです。

 あらゆることについて、何かを動かして変えていく動因を、神ではなく、創造主ではなく、私たち一人一人の人間がもれなく持つことができるのです。

何と素晴らしいことではないですか。

 ある日突然「あなたは不合格です。理由はありません」と言われることはありません。

「あなたは不合格です。点数が10点届きませんでした」と告知がされるこの世界は、いろいろな支障や壁があるにしても、基本的には努力すれば必ず結果を出すことができる世界だと言えます。

私たちは素敵な世界に生きているのだと思います。


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