よくわからない話
たまにスピーチや講義などで、聞いていても抽象的な内容や主観的な感想ばかりが多くて、何を言っているのかがよくわからない話があります。
おそらく話している本人もよく整理ができないまま話しているのだと思いますが、そういう場合は聞き手も同様に、いやそれ以上に話がわかりません。
私が司法試験で答案の論文を書いていた頃にも、同じような経験があります。
自分の頭の中が整理整頓されていて、論理が順に流れている場合には論文を書いていても気分が良く、そういう場合は評価が比較的高かったです。
けれども書くべきことが十分にまとまっていないのに時間がなくて見切り発車した場合には、論理があっちへ行ったりこっちへ戻ったりしてしまいました。
自分ではそれでも「書く内容はすべて書いてあるので読む人はわかってくれる」と思っていましたが、実際には決まって評価が悪かったのを覚えています。
そのため、途中からは他人の書いた答案をたくさん読むようになりました。
それで気づいたことは、
自分が論旨不明快なまま書いたり話したりしたことは、他人にはもっと論旨不明快でわからないという事実でした。
聞き手の反応は素直
これは逆のことも言えます。
自分が十分にわかっていることは、何気なく話をしていても相手には非常によく伝わります。
伝わる「深さ」が違うような気がします。
たとえば黒板授業の場合、
教師自身が自分でもすっきりわかっていないままの内容を抱えて説明をしている場合には、聞き手の生徒たちはすぐにそれに気がつくものです。
どこが分かりにくいかまでは具体的に分からなくとも、何となく違和感を感じるのです。
皆さんも学生時代に「何かわかりにくいな」と思って聞いた先生の授業があったのではないかと思います。
このように、聞き手は話し手よりずっと敏感に話の筋をたどっているものです。
これに対して、自分が非常によく理解していて得意な内容については、自然に周辺の知識を含めて幅のある説明ができるので、聞き手の生徒たちは話し手が思っている以上に理解をしてくれます。
「そんな大した話ではないのにやけに反応がいいな」と話していて意外に思うことがよくあります。
こういう時には、内容が「深く」伝わっていると言っていいと思います。
自分が理解をしっかりしていることは、説明をしやすいということが言えると思います。
説明をできるかどうかで理解をチェックできる
このことを学習の場合に当てはめると、どういう意味があるでしょうか?
それは、「説明できるかどうか」を確認すれば、「真に理解できているかどうか」をチェックできるということを意味しているのではないかと思います。
私たちは指導の際生徒に、その日学習した内容を「話して説明してみて」と言って確認することがあります。
そうすると、それまでスイスイと問題を解いていた生徒が、意外に上手く答えられないことがよくあります。
口頭と書面という違いや表現が得意かどうかという違いがあるかも知れませんが、上手く説明ができないという場合には、その生徒はそのジャンルに対して少しひねった問題には対応できないことが多い気がします。
理解が浅い場合が多いのです。
確認に最適なチェック方法
したがって、学習の成果として理解がしっかりできているかを確認するには、
学習したことを「説明できるかどうか」のチェック
これを行うことが非常に有効だと思います。
これは常に大々的な方法でやらなくてはいけない訳ではありません。
実は日常的にできる良い方法があります。
子どもが帰宅した際や夕食のときに、
「今日どんな勉強したの?教えてよ」とか
「習ったことで面白いことあった?話してみて」などと聞いてみます。
そして保護者が聞き手になって説明をしてもらうのです。
最初は上手く説明できなくてもいいのです。ゆっくり聞いてあげてください。
大切なのは楽しく続けることです。
そういう会話を楽しく続けていれば、
子どもは「今日は上手く話してやろう」と思うようになります。
そうすれば親が何も言わなくても、自分自身で理解を深める学習を自然にするようになっていくのです。
親子のコミュニケーションの一環としてやってみてはいかがでしょうか。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。