解答書を読まないで学習をすることの意味
学習に時間がかかっている生徒の相談を受けることがあります。
人それぞれいろいろな状況がありますが、多いのは「どうしても解答書を見てやりたくない」という生徒です。
これで時間がかかっている場合をかなり見かけます。
課題として与えられていて、答え合わせは次回になっているような場合は解答書がないのでもちろん見ようがありませんが、
解答書も配られていて、マル付けを自分でやって提出するような課題の場合にも、とにかく全問しっかり解いてからでないと決して解答書を見ようとしない生徒がいます。
こういう生徒の多くは、
解答を見てしまうことを不正と思っていたり、
自分の力を試したくて仕方がなかったりするのですが、
何のために課題が出されているのか、
そして学習ということの目的は何なのかを誤解していることがあるように思います。
学習の目的はあくまでも、その課題として出されたタイプの問題を解けるようになるということで、課題は練習に過ぎません。
ほぼ解けるようになっている場合は別ですが、解答方法がよくわからないのに、上記のような理由で、問題とにらめっこして首をかしげていたり、
間違いだらけの解答を全問題について書いていって、それからマル付けをして全問間違っていて頭を抱えていたりするのは、
本当に貴重な学習時間を無駄にしているとしか思えません。
もっと合理的なやり方をすべきです。
簡単に言えば、
解答書を見て確認をしながら学習をすべきです。
自分が答えを丸写ししてしまうと思っている生徒であれば、
最初に解答書をよく読んで、
その後それを見ずに解答をすればよいだけです。
こうすることによって劇的に学習が合理化できると思います。
自主学習ならなおさら答えを確認しつつ進まないと意味がない
課題でなく自主学習をやっているときにも、最後の最後まで解答を見ない生徒は意外に多いです。
6ページくらいの内容の英語の問題集を延々と解いていて、
長い長い時間を書けて書き上げたと思ったら、
解答が全く違っていて、全問題赤字で直しを書いているような生徒もいます。
でも、そのやり方で次にできるようになるとは到底思いません。
そんな状況ならばなおさら
一度答えを見て頭に入れて、
問題を解き、
苦しくなったらまた解答書を見て
少しずつ進むというのがやり方としては合っています。
全問題を通して確認をするのはもっと先のステップにしておいた方が良いでしょう。
解答書を配布しない先生の考え
中学校でも高校でも、生徒が色々な面で忙しく学習時間を確保するのが大変だということがわかっていないのか、
課題の解答はテスト前のギリギリにならないと配布しないというやり方をする先生もいます。
おそらく
「自分の力でできるようになってほしい」
「楽をして勉強をするのは良くない」
というような昔ながらの考え方があってのやり方なのかも知れませんが、
生徒の学習効率を悪くしていることは間違いないです。
中には年度末にならないと解説書を渡さないという先生もたまにいます。
生徒はいろいろ四苦八苦して解答して提出をしますが、その教科のその課題のために他の教科の学習に割く時間がなくなってしまったり、
あるいは、わからない時間が長いために、教科自体が嫌いになってしまうというようなことがあります。
なのになぜこのようなやり方をする方がいるのか不思議で仕方がありません。
たとえば高校の数学は、以前にも書いたことがありますが、
「数学は暗記」と言われ、切り口をまず覚えていくことが重要です。
解答書を読み込んで切り口を覚えて、それから問題を解いていった方が、劇的に短い時間で効果を上げることが確実だと思います。
しかし、まだよくわからない状況であれこれ考えたり、ネットで調べたり、友達の答えを写したりして課題を仕上げても、効率が悪すぎて切り口を押さえていくこういう学習はなかなかできません。
たまに解答をなかなか配布しない先生がいるので、授業の時に自分の説明を集中して聞いて欲しいからかなと思ったこともあるのですが、
このやり方をする先生の中には、少なからず授業では説明を省略してしまってしっかりやらない先生もいたりします。
「テスト前に解説は配布する」と言って、テスト週間になっても配布せず、テスト前日くらいになってようやく配布したというような例さえ何回となく見てきました。
対策学習の妨害をしているようなものです。
これでは一体いつ生徒は
「わかった」という瞬間を迎えることができるのでしょうか。
聞いているだけでこちらが悶々としてしまいます。
できれば学校の先生も昔ながらのスタイルに固執せず、合理的学習ということをもう少し考えてみても良い時期がきているのではないかと思います。
もう少しだけ生徒を信用してあげてはいかがでしょうか。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。