ずいぶん昔の話になります。
私が高校に入って間もないころ初めて化学の授業がありました。その化学の担当のA先生の授業を受けて衝撃を受けました。
何を言っているのかがほぼわからないのです。次々に式を書いて、「これはこう、これはこう」というだけで意味の説明がありません。また、早口の京都弁で話すのと、何か自分で早口で話をしたかと思えば自分でウケて笑っていて、こちらの反応はお構いなしで授業が進むため、言葉すらも聞き取れないレベルです。
ドラマ「過保護のカホコ」風に言えば、
「こんなの 初めて!」です。
何もまったくわからないままにその授業は終わりました。周囲の友人もみな同様に茫然としていたのを覚えています。
「これからどうしよう」
その後も質問に行ったりいろいろチャレンジをしてみましたが、本当にさっぱり不明のままでした。ちなみに言い訳のようですが、中学時代理科は得意で結構満点をとっていたのでショックでした。
結局、1年間ほとんど話すら聞き取れずこの授業は終わりました。そのため、私の化学はほぼ完全に独学となりました。
その後の勉強の成果でなんとかできるようにはなりましたが、一番最初の授業がそんな風であったので、やはり化学に対しては意識の中で何か苦手に感じるところがしばらく残ってしまいました。
それから月日が経ち、化学を教えるにあたって再度自分で学び直しました。教えるための学習ですので、ただ問題に答えるだけでなく詳しく説明ができる必要があります。
このころにはもう高校のことなど忘れていますから、改めて先入観なしに勉強ができました。そして、新しく学ぶ化学はとても興味深く感じました。
その時ふとA先生の授業を思い出しました。
「これをどうしたらあんな説明になってしまうのだろう?」という疑問が生じました。わかりやすい説明の方法ならたくさん知っていますが、わざわざわかりにくい説明をしてしまう心理がよく分かりませんでした。
最近、タレントの島田紳介さんの動画を見ていたら、道を聞かれてわかりやすい説明をできる人は、自分がその場を歩いていることを頭に浮かべて話している、というのがありました。
「あっ これだ」と思いました。
わかりにくい説明をする人は地図を頭に描いて説明をします。「ここを北に行って○○町の交差点を右に曲がって…」などといってもさっぱりわかりませんね。
「この先まっすぐ行って信号を2つ超えて、3つ目の信号のところの右側に薬局があって…」という方がわかりますよね。
説明というのは、自分の頭の中で理屈で考えてすると途端に相手に伝わりにくくなりますが、相手の立場に自分を置き換えて話すようにすると簡単にできるようになるものだと思います。
A先生の説明は、彼の頭の中にあった式と理論を次々に並べていったためにわかりにくくなったのかも知れません。聞いている生徒の顔と表情を見て、一つずつゆっくり確認をして、生徒の思考を思い浮かべて一緒に進む形でやっていけばあんなことにはならなかったのだろうと、今は指導側に立つ人間の一人としてそう思います。
大学で講義を受けた時にも、有名な教授の講義が必ずしもわかりやすい講義ではありませんでした。理論をよく知っている=話がわかりやすいということではないことは、皆さんもよく知るところだと思います。
ただ、A先生の化学を受けたおかげで、結果として私は指導に必要な大切なことを十分考えることができたと思って逆に感謝しています。
指導をしているとA先生のような授業をする先生のことを、生徒からたまに聞くことがあります。
誰もが学校の授業なしで独学で勉強をすることができるものではありません。教え方次第では生徒がその科目を嫌いになって進路さえ変わってしまうこともあります。
生徒の未来のために、「わかりやすさ」ということがすべての教師にとって絶対不可欠のものだということだけは、忘れずに指導にあたってほしいと心から願っています。