四公六民。北条早雲の勇気とは?

北条早雲

 最初の戦国大名とされる人物。室町時代後半、単身で全く地盤のない相模国、伊豆国において民衆の力を背景に支配を広げ、後北条氏5代の繁栄の元を築いた。応仁の乱で世が乱れ、民衆が悪政に苦しめられていたのを見続けてきた早雲は、たった一人で民衆を守り産業を育む領国を創り上げることに成功した。六公四民(年貢は収益の6割)が多い当時において、検地を初めて実施して四公六民(6割が民の取り分)や徳政令を行うなどの善政を行ったとされる。

優秀な指導者、教育家であった早雲

 北条早雲の前半生や正しい年齢についてはいろんな説があり、定かではありませんが、戦国の乱世の中、後北条氏が五代にわたり安定した領国経営を行う基礎を、何もないところから単身で築き上げたということは間違いがありません。

 早雲は領民を愛し、それまでは支配者階級に搾取されるだけの存在であった民衆に善政を敷くにとどまらず、民衆が自主的に働いて産業を興し良い社会を築いていくための基礎的な教育まで行っていたようです。

 室町時代については前に 「五公五民(現代の既得権益の話)」 でも書きましたが、既得権益を持った者が二重三重に存在して、それ以外の者たちから延々と利益を吸い取るような硬直した社会構造が出来上がってしまっていました。

現代の日本に似ていることもお話ししました。

 そんな社会にあって、早雲は次第に勢力を得ることで手にした武力と卓抜した戦略眼によって、領民たちの理想郷を創ろうとしたのではないかと思います。

 早雲が領国である伊豆・相模を平定し終わったのは、一説によると85歳の時だったと言われています。室町時代にこの年齢でそれを行ったことも尋常なことではありません。

四公六民

 現代の日本の税負担が重く、実質的には五公五民を超える勢いであることも以前書きました。もちろん国民のための税と年貢では意味が全く異なりますが、官の力が極めて強い室町時代に、早雲が四公六民や徳政令を出すといった民衆の立場に立つ政策を行うことができたということは、本当に注目に値することです。

 室町幕府を開いた足利尊氏や名君と言われた足利義満の時代は別でしょうが、おそらく後年の室町の支配者階層たちは、次第に民衆というものが支配されるためにのみ存在する生き物くらいに思ってしまっていたのではないでしょうか。

 創始者の徳川家康の遺訓によって、民衆のための政策を代々行った後世の江戸幕府などと比べるとそんな気さえします。 

早雲の勇気

 しかし、室町時代の支配構造が現にそのまま存在している社会で、自分の支配する国を創るということの大変さは想像を超えるものがあったと思います。

いってみれば日本の中に武力で自分の国を創ったようなものですから…。

 私たちは映画の主人公のように劇的なことや、革命的なことは現実にはよほどのことがなければできません。

 よほどのことが民衆の苦難ということだったのでしょうが、早雲の勇気には脱帽します。

 その後各地で早雲に続くものが出て戦国時代が到来するわけですが、最初にこれを行う者が出なければ、まだまだ悪政は続いていたかもしれません。

現代の既得権益も、誰もがそれを止めない点では同じかもしれません

 現代の日本においては、もちろん選挙で民意を表明することができます。政治権力を握っている人も、民衆の支持を失えば明日からはただの人になってしまいます。

 しかし、既得権益を有する団体や組織によって政治の判断も実質的に左右され、保護される民衆とそうでない人たちの格差は日々広がっています。

 そしてこのことは今や誰の目にも明らかになってしまっています。

 そんな中よく言われるのは「日本人は優しいから暴動を起こさない」という言葉です。たしかにその通りだと思います。

 というより勤勉で真面目な性質のせいで、日々の暮らしに一生懸命に取り組んでいるため、そんなことにまで関わっていられないというのが本当のところなのではないでしょうか。

「任せておけば悪くはされないだろう」と心の中では思っています。人が好いといえばこれもその通りなのですが…。

 今では、社会に出て働いたことのない人間が政治に携わっていることも珍しくなくなっています。任せておいたらとんでもないことになってしまったという日が来ることもないとは言えません。

 もし今の世に北条早雲がいれば、一人立ち上がってこの状態を変えてくれるのでしょうか。

いや、この21世紀に人類の歴史を知り尽くしてすばらしい英知を持っているはずの私たちが、北条早雲に頼るのは情け過ぎますね。


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