指導はプレゼント
生徒にとって新しい学習をして未知のことを知ることは、知的好奇心を満たすと当時に、未来へ向けて夢を広げることのできる瞬間です。
そのワクワクした気持ちこそ、指導する者が学習する生徒たちに一番与えなくてはならないものだと思います。
指導とは、教師が生徒に新しいワクワクをプレゼントするものと言いかえてもよいでしょう。
教師が自分を披露する場ではありません
教師には話が好きな人が多いのですが、学校の授業でも本題から外れてしまって、結局必要なことは説明がなかったという話はよく聞きます。
もちろん一概にすべていけないとは言い切れません。
真に心を打つトークで学習する意欲を燃え立たせることも可能ですから、いつでもカリキュラム通りであればよいわけでもありません。
しかし生徒の話を聞く限りでは、自分のプライベートな話を延々としゃべっていたり、学科の内容とリンクさせない話をずっと話す方も時々いるようです。
そして授業でしっかりした説明がないまま、テストではその出題がされるなんてことも時々耳にします。
これだといったい誰のための指導かということになりますね。
「今知りたがっていることを今十分に説明する」それだけのことなのですが…
授業でも個別指導でも、指導を終えて教師が「今日の生徒たちはやる気がなかった」とつぶやくときには、経験上大抵教師の側に問題がある場合が多いように思います。
自分が説明をしたのに生徒の表情が良くない場合、本当に生徒の側に問題があるのかどうかは必ずチェックすべきだと思います。
チェックするポイントは、今生徒が知りたいことを、今十分に説明できているのかどうかです。その際には、①教師がやるべき指導をしっかりやっているかだけでなく、②生徒に合った形で指導を提供できているのかも必ず確認してください。
冒頭の授業の話のように、全く別の話を延々とすることは論外ですが、生徒に寄り添って指導をしているつもりでも、生徒がわからないことが何かのキャッチが甘い教師は、生徒からの信頼を早々に失ってしまいます。
天丼を食べたいのに、「これがいいよ」と言ってオムライスを出すような指導が良いプレゼントになるはずがありません。それは余計なおせっかいというものです。
天丼が食べたい人には、いっしょうけんめいおいしい天丼を出してあげるべきなのです。
そのためには、「どんな天丼が食べたいのか」「てんぷらの揚げ具合はどうか」「ご飯のかたさはどうか」「タレはどんな味付けがいいのか」といったことを細かくリサーチして天丼を作るのです。
今後も皆様のお役に立つ情報をアップしていきます。
生徒から分からないというボールを投じたとき、軽々しくキャッチするのではなく、正面から貴重な1球とみなして、褒めることで真剣に受け止めたいと思いました。あらがとうございました。
コメントありがとうございます。
生徒から伝わってくることを大切に見つめることは本当に大事なことだと思います。