【アドルフ・ヒトラー語録】小さな嘘と大きな嘘。大衆が騙されやすいのはどちらか?

大衆の心理とは?

 こんな言葉があります。

「大衆の心は原始的なまでにシンプルなので、小さな嘘よりも大きな嘘の餌食になりやすい」

大衆というものを見下した感じの言葉ですが

誰の言葉かご存じでしょうか?

 これは実は、アドルフ・ヒトラーが「わが闘争」という著作の中で述べた言葉だそうです。

 ヒトラーと言えば、第一次世界大戦の敗戦と世界恐慌の嵐によって次々とドイツに経済的苦境が訪れる中で

ハイパーインフレからドイツを救った「レンテンマルクの奇跡」の立役者の凄腕経済家であった、元ドイツ帝国銀行総裁のヒャルマル・シャハトを腹心として採用し、

世界一有名な高速道路アウトバーンの建設など、次々に積極財政や公共投資を行って国民の圧倒的な人気を得て、それを背景にナチ党による独裁政治を行った人物です。

 その後、歴史的に常軌を逸した行動をしたとされることで、世界的には悪名高いヒトラーとなる訳ですが、

少なくとも、このように当時のドイツ人は、ヒトラーに嫌々従っていたわけではなく、

国民は熱狂的な支持をしていたのです。

 それはアウトバーンしかり、国民車であるフォルクスワーゲンしかり、当時疲弊していた国民に雇用を創出して国民に希望を持たせたということが大きかったのではないかと思います。

 また彼は、演説の名人でした。

独特の口調とリズムで国民を奮起させる彼の演説は、今でいうところのアジテーション(扇動)とプロパガンダ(宣伝)に満ちたものだという評価もありますが、

当時の人々にとっては未来への希望だったのかも知れません。

大きな嘘

 彼の言葉にある「大きな嘘」という言葉ですが、これは色々な意味にとれる言葉です。

反語的なものとして、これを良い意味で受け取れば

「『大きな仮想目標』を立てると大衆は簡単についてくる」というようにとらえることもできます。

昨今の我が国の政治家のように、簡単にばれてしまう「小さな嘘」、

つまり結果がすぐに出てしまう短期目標を繰り返し提示して、失敗を連続させてしまえば

それではやはり大衆も信頼しなくなるのではないかと思います。

 あるいは

直截的に語彙通りに「騙す」という意味で受け取れば

大衆は、あまりに大きな虚構が描かれているため、それに気づくことができないということになるでしょうが

これは、虚構自体が最終的に露見しなければ「嘘」にならないので

「小さな嘘」よりも大衆は「騙されたまま」であることが多いということになります。

 果たして彼は、本当に「大きな嘘」をドイツ国民に対してついていたのでしょうか。

 結果としてドイツは、第二次大戦でも敗戦となり

ヒトラーの行動について歴史上世界に対して、ドイツ国民が大きな負い目を追わざるを得なくなったことを考えると

肯定せざるを得ないのかも知れません。

私たちが気づいていないことがある

 世界には、私たちが全く気付いていない「大きな嘘」があります。

それは、確かなことであると思います。

 たとえば

日本は第二次大戦にドイツと同様に敗れてしまったために

戦勝国であるアメリカやソ連などにより、徹底的に解体をされてしまいました。

 国家を運営していた者は、東京裁判によって一方的な戦争犯罪者という汚名を着せられてしまいましたが

今これが極めて政治的なプロパガンダによるものであったということが、歴史的にも見直され始めてきています。

しかし、こういった一連の占領政策などによって

日本の国民には「自分たちは悪いことをした」という意識が徹底的に植え付けられてしまったように思います。

 これなどは、戦勝国が日本人に設定をした「大きな嘘」と言えるものだと思います。

 私たちは単純に「戦争に負けた」という事について、長い間すべての分野で自虐的に反省を強いられてきたのです。

そしてその真実の姿は、一般的普遍的な批判によって自然発生的に生じたものではなく

戦勝国が当初から計画をして、我が国に自虐的な意識を生じさせるような仕組みを作ったのだということも、近年調査によってはっきりしてきています。

中でもメディアがその中心的役割を果たしていることは、既にご存知の方も多いと思います。

 このような嘘の結果、私たちが実質的に失ったものは実に大きく

特に教育の分野においては、日本は戦前と比べて極めて矮小化した教育制度を、半ば強制的に導入させられることになったように思います。

それが、現在の日本の対外的な弱体化の出発点にあったことは明らかです。

 そして昨今の世界のおかしな動きを見ていると

私たちが気づいていない何か「大きな嘘」が世界にはあるのではないかと

誰もが気づき始めているようにも感じます。

歴史が明らかにしてくれる

 しかし「嘘」というものは

いかに権力や情報を握っている者が、それを信じさせようとしても

結局いずれは白日の下に引き出されてしまうものであることは、

歴史が物語っています。

 ひょっとすると、私たちが知っている歴史自体が「大きな嘘」である可能性もありますが

それとても、これから先いずれ真実ははっきりしてくることでしょう。

 だとすれば

本当はそのような「嘘」が敷かれている社会であったとしても

私たちは冷静な目を持って、権力やメディアの行動を監視していく必要があります。

大衆を見下している彼らに

「『大きな嘘』をついて自分たちの利益を図っていけば安心だ」なんてことを思わせてはいけないのです。

 そういう視線があるという事は、

たとえそれが目覚めた少数者の目によってであっても、不正を行う者を必ず躊躇させることでしょう。

 これは想像ですが、「嘘」をつく人間は常に大衆を恐れているのではないかと思うからです。

 

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