「一段落」はどう読むのか
よく漢字の読み方のクイズなどで
「この漢字の正しい読み方は?」なんていう出題があり
「それは実は間違いです」などど言って
意外な間違いをテーマにする番組やWEBサイトがあります。
そして間違いについては、「そんな読み方をしていると恥ずかしいですよ」という風なニュアンスで否定がされたりしています。
しかし、ちょっと首をかしげてしまうようなものも少なくありません。
たとえば「一段落」という熟語の読み方について、皆さんはいつもどう読まれているでしょうか?
かなり多くの方が「ひとだんらく」と読んでいるのではないでしょうか。
しかし正しくは、「いちだんらく」という読みの熟語であり、辞典などではそう記されています。
そうすると「ひとだんらく」は間違いであることになるのですが、実際にはこちらで読んでいる人の方が多いと思います。
現に「ひとだんらく」と読んでいる割合の方が多かったという調査データもあるようです。
「でも、言葉は正しく使わないと」と言われる人が多いかも知れません。
しかし「ひとだんらく」という読み方もあるということは、辞書やNHK放送局のコメントなどでも併記されていたりします。
一応現在は「誤読」の一種とされているようですが、こういう読み方が時代の移り変わりによって普通の読み方になることもあります。
だから、間違いとして葬り去るというのも違う気がします。
古典から考えれば現代語は間違いだらけ
日本語は時代とともに進化変遷を遂げてきました。
だから学校で古典を勉強して、普段使わないような言葉を一生懸命学ぶわけです。
もし紫式部が生きていて、現代の文章を読んだら
「意味が分からない上に、間違いだらけです」
そう言うのではないでしょうか。
言葉について何か正しいのかは、時代ごと変わってくるものです。
だとすると、ほとんどの人がそう読んでいる漢字や熟語を
「これは間違っている」と断言してしまうことには、何か違和感があります。
実際に使いやすいからそう読んでいるのだから、
読み方のバリエーションとして、「それも今はあり」とするのが正しい対応だと思います。
漢字のテストなどでは、さすがに正式に変更がされない間はそれを正解としてはいけませんが
普段の社会生活においては、「ひとだんらく」って読んでいる人に
「君は物を知らないね」なんて言うのは、控えた方がいいかも知れません。
「それも今ではあるけどね・・・」くらいにしておかないと、逆に「部長は頭が固いですね」なんて言い返されるかもしれません。
「ら」抜き言葉
同様のものとして「ら」抜き言葉があります。
たとえば、
「食べられる」という言葉を「ら」を抜いて「食べれる」というような言い方をするのを、「『ら』抜き言葉を使うのは間違い」と言って
ずいぶん前から、国語の指導においては定番の「よくある間違い」として取り上げられることが多いものです。
国文法的に言うと、
可能の意味で「食べることができる」を表現するときに、
動詞「食べる」と可能の助動詞「られる」を組み合わせた「食べられる」という言葉を、
「食べる」に「れる」だけくっつけて「食べれる」と言ってしまっているのが「ら」抜きです。
文化庁の国語調査の結果などからの見解としては
「ら」抜き言葉は昭和初期から使う人が多く、ずっと誤りを指摘され続けて来ているものの、
7割以上の人がこの言葉を正しい言葉としては使っていないという事から、あくまで「誤用」として現在は扱うが、今後の推移を見ていく
というような趣旨のようです。
しかし実際の世間での会話では、
「あそこで弁当を食べれるよ」と言う人と、「あそこで弁当を食べられるよ」と言う人の割合は、実感としては前者の方が圧倒的に多い気がしています。
「新聞では使わない」といったことなどが、未だ「誤用」扱いの大きな理由のようですが
言葉は元々庶民が使っているものです。
「公式な言葉では使わないから、それは正しい言葉ではない」なんて姿勢を取られると
江戸っ子のように(江戸っ子ではないですが)
「てやんでぃ」と言いたくなるのは私だけでしょうか。
もっと柔軟に世間を見て、文化と言うものを考えていくべきだと思います。
文法的な説明をした上で「テストでは間違いになる。でもそういう言い方は『ある』」
私はそういうスタンスで「ら」抜き言葉については教えるようにしています。
「食べる」と「れる」が直接接続できるかどうかだって、
たまたまそう言う言い方がされなかっただけに過ぎないはずなのに
長く言われてきたというだけで、
ほとんどの人が知っていて使っている言葉を、いつまでも「誤用」としておくのはどうなのかなと思います。
何か困ることがあるのでしょうか?
文化と言うのは、現にある世の中から引き出されていくものであって
お上が決めていくものでもない気がします。