考える学習
学習については、暗記一辺倒の学習をやめて「考える学習」をすべきということがよく言われます。
でも「考える学習」と言っても漠然としていてどういうことかイメージしにくいという人も多いと思います。
基本的人権の学習を例に挙げて「考える学習」ということについて
それがどういうものなのかを見ていきます。
憲法の基本的人権
憲法第3章では基本的人権の例が列挙されており、人権カタログとも言われています。
基本的人権を国民自身が理解していることは、国家自体の将来に向けて極めて重要なことであるため
どんな基本的人権があるのかを社会科で子どもたちが知ることは、非常に重要なことです。
そのため小学校の社会でも学習しますし、中学校の公民でも学習します。
思想・良心の自由、学問の自由、表現の自由、職業選択の自由、財産権、適正手続きを受ける権利、奴隷的拘束・苦役からの自由、裁判を受ける権利、生存権、選挙権、被選挙権、教育を受ける権利、勤労の自由、労働基本権、請願権・・・
たくさんの人権について、どんな権利かを学習します。
司法試験を受験していた頃、司法試験予備校の講師がこのようなことを言っていたことがあります。
「短答式試験(司法試験のマーク式試験)の憲法なんて、中学生でも8割正解できる」
当時の旧司法試験の短答式の憲法は詳細な知識を聞くものでなく、基本的知識+思考力+事務処理能力を問う形の出題であったため、
今思うとこれはあながち大げさではないと思います。
事実その頃の短答式では、私もよく本試験で満点を取っていました。
逆に言えば、それほど中学校の公民で学ぶ憲法の学習は細部までしっかり学習をするということです。
これは上記のように憲法の学習が、国家の未来にも関わる「民主主義教育」の根幹にもつながる学習であるということが背景にあるように思います。
そして県によっては受験でもかなりの知識を聞いてきます。だから生徒が大変に感じてしまうこともあるようです。
特に人権の分類などは、初見の中学生にとっては「さっぱりわからない」という事態も見かけます。
自由権と社会権
中でも生徒が苦戦するのが「自由権と社会権」の区別だと思います。
生徒は漠然と「『自由』って書いてあるのが自由権で、社会的なのが社会権で・・・」というような自己流の暗記をしようとしたりしますが
当然丸暗記になっていますので、なかなか覚えられません。
公民の憲法では覚えることが多く、学校の先生によっては条文を丸暗記させてテストする先生がいるので、ここまで手が回らないという感じです。
ところがこんな分野の学習でも、
一瞬で分類をできる方法があります。
憲法の根本にある考え方を知っていれば、憲法というものは良くできていて細かいことも体系的な思考で整理されていることがわかります。
もちろん中学の憲法学習は法律家になるための学習ではないのですが、だからこそ憲法を学習するためには、むしろそういう背景にある体系的理解を先に知ることが必要な気がします。
教科書は「知識重視」の内容になっていて、生徒の憲法への興味を削いでいると私は思います。
人権の歴史
もともと人権は、国家が個人に対して無理難題を押し付けてくることから個人を守るものとして考えられたものでした。
たとえば、「国が会議で決めたらあなたの財産はいつでも取り上げてもOK」とか
「国が今月は外出禁止と決める。経済活動を禁止するが補償は行わない」
「来月から酒は販売禁止。飲食店には少し補償するが酒屋にはしない」
こんなことを、突然個人に強制してきたら大変ですよね。
なんだか最近はこれに非常に似たようなことがありますが・・・。
強制ではないというのが我が国では合憲の根拠のようです。社会的には実質ほぼ強制されていて、協力しないと行政罰があるのにおかしな話です。
おそらく今後訴訟が行われることになると予想されます。国家や地方自治体の専横は許されるべきではありません。
話がそれました。
人権はこのような権利、つまり「個人の勝手にさせておいてくれ」「国はオレの権利を邪魔するな」という考え方から発生してきたものなのです。
これが「自由権」の考え方です。
ところが、資本主義が高度に発達してくると富の偏在が生じます。
お金があって社会的に力を有している人ばかりでなく、そういう機会に恵まれず苦しむ人も現れます。
そこで憲法でただ「自由権」を保証して、あとは個人の自由に任せておくというだけでは、実質的な人権を守ることができなくなってきたのです。
そこで「個人の勝手にさせておいてくれ」という側面だけでなく
「オレのことを国家がなんとかしてくれ」「国はオレの権利を守れ」という考え方が出てきました。
資本を有しているということは、個人の努力だけでなく社会的な構造により生じることも多く、そもそも生まれた環境や場所で貧富の差やハンディキャップは存在しているから、
こういうことも認めていく必要があるとされたのです。
このような経緯で主張されたのが「社会権」です。
ドイツのワイマール憲法がこれを保障してから、憲法で社会権を保障するというのは一般的な流れになっています。
見分け方
このような考え方を知っていれば、「自由権と社会権」を名前ごとに暗記をしていく必要は全くなくなります。
その権利がどういうものなのかを考えれば簡単に分類できてしまうからです。
「国家に対して個人の自由を主張するもの」なら自由権
「国家に対して個人の権利を守るように求めるもの」なら社会権
ということになります。
たとえば財産権は「個人の財産を勝手に国家が奪うことがない」という権利だと考えれば、自由権であるということが分かります。
生存権は「健康で文化的な最低限度の生活を国に求める」ものであるから、社会権だとすぐ分かるでしょう。
このように学習においては、暗記ということに持ち込むのは最終手段にして、まずその根本にある考え方はどんなことなのかを知り、そこから考えるということが重要です。
時間は有限であり、人間の脳の情報処理のキャパシティーも有限です。
だとすれば、暗記という処理に持ちこまずにできるだけ「考える」ということで結論をショートカットで導き出せるようにしておくが効果的だと思います。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。