エコーチェンバー
インターネットの世界は、一般社会と大きく異なる点があります。
たとえば、あなたが何か特定の事について調べようとしているとします。
そしてあなたがそれについて「Aが正しい」という考えを持っているとします。
仮にSNSで「Aが正しい」と検索するとして
ヒットする記事や投稿は「Aが正しい」ことを主張するものばかりになります。
反対意見もありますが、圧倒的に少ない割合でしか出てきません。
それであなたは「やっぱりAは正しい」という確信を得てしまいます。
このように単に主張や意見のみを確認しようとする場合には
自分と考えが同じ人の集団内で、その考えを互いに増幅してしまい
それに反対する別の意見と言うものを知る機会が極めて少なくなってしまう
そういう傾向があるのです。
これはインターネットが、自分から主体的に何かを検索したり投稿したりするところから始まることが多い仕組みのものであることから
避けては通れない問題だと言えます。
このように、特定の閉鎖的な集団や社会内で同じ意見を持つ人たちが、互いにその正当性を確認しあって、増幅していく現象を「エコーチェンバー」と呼びます。
「反響室」と言うような意味の言葉ですが
実際にネットの現実をよく表している言葉であると思います。
他人に耳を貸さない集団
これを実社会で考えて見ると
特定の考えを持つ思想集団がいて、外部の考えに対して排他的になり
「他人に耳を貸さない集団」となっているような姿を想像することができます。
一方向へ向けて考えが極端に進むため、
実際に危険な行動に出たりすることも起こり得ます。
メディアで繰り返しネット批判がされているのは
こういう行動をする集団が、ネット上では生じやすい側面があることによるところもあり
一理ある考えではあると思います。
事実、誰かを批判したりする意見が流れると、
少なくともそのSNSのそのトレンドなどにおいては
ずっとそういう意見ばかりが一万以上も集まったりしてしまうわけですから
そんな中で「冷静に他方意見を集めて」と言っても
読んでいる人は、目の前の圧倒的多数の自分と同じ意見に押されてしまい
「別の意見を取る余地もあるのではないか」ということは、考えにくくなってしまいます。
意見ではなく情報を集めるようにする
こういうエコーチェンバーの弊害に陥らないようにするには
「自分と意見の異なる考えも検索をしてみる」という事が役に立ちます。
「念のため」という気持ちで十分です。
少し見てみるのです。
そうすると意外にも反対意見にも一理あって、自分の考えがぐらつくことがあります。
でもそれでいいのです。
そうすれば、あなたは反響室からは抜け出たということになりますから
改めて双方の意見を照合して考えて見ればいいのです。
また、もう1つ効果的な方法があります。
それはネット上では「意見」ではなく「事実に基づく情報」を集めるという意識を持つようにすることです。
誰かの意見を読んで「なるほど」と思うことがよくあるかと思いますが
その際には必ず「なぜそう考えるのか」を確認するようにします。
意外にも説得力あるように感じる意見の根拠が
「ネット上で別の人が言っていた」だけだったり
「SNSで多くの人が書いていた」がそのエビデンスとなるものが見つからなかったりして
よくわからないのに、その人が頭の中で理論を作り上げているだけということは
本当によくあることです。
だから、根拠は何かという「情報源となる事実」を掘り下げるようにする意識をもちましょう。
そうすれば反響室に閉じ込められたりすることはずっと少なくなるはずです。
今エコーチェンバーが発生しているのは、メディアを盲信する実社会では?
このようなことがあってか
それともバランス感覚のある人たちがネット社会上で多く行動するようになってか
以前に比べて最近は、
バラン感覚のあるコメントがSNSでは多くみられるようになりました。
「こういうことかもしれないが、Aという情報とBという情報があるので、それはおかしいのではないか」というような論調のものがかなりあります。
こういう意見であれば、読み手もエビデンスを知りつつ考えを知ることができるので
次第に閉鎖的な思考集団にならずにすむ可能性が高くなってきていると思います。
これに対して実社会の方はどうでしょうか?
メディアの流す情報はまさに一昔前のネットでよく見られたような
「Aはけしからない。ちょっと考えられないですね」というものであって
その理由はと言えば、反対情報を一切割愛した一方的な推論であることが実に多くなっているようです。
このことが何を意味するかと言えば
メディアのみを情報源としている人たちが
最近はエコーチェンバー内に閉じ込められつつあるという事が言えると思います。
そういう人たちの多くはネットでは情報を得ないため
まさに広い情報の大海の中で、テレビなどのメディア内に閉じ込められていると言っても過言ではないでしょう。
だからそういう状況にある人たちにも言いたいのは
「反対意見の可能性も一度考えてみて」ということです。
「ひょとすると偏った意見をメディアによって信じ込まされているかもしれない」
そう疑うだけでも、状況は大きく変わると思います。