雅号
夏目漱石は、ご存知のように明治時代から大正にかけて、『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』などの名作を残した文豪です。
本名は夏目金之助。そして雅号が「夏目漱石」です。
雅号と言うのはペンネームのようなものです。
この時代の文豪は流行であったのか雅号を用いることが多く
割と凝ったものが多かったようです。
たとえば有名な森鴎外の本名は「森林太郎」ですが、林太郎や金之助でなく「鴎外」や「漱石」の方が、なんだか重みがある感じがありますね。
ところでこの「漱石」という雅号には、大変面白い由来があります。
沈石漱流と曹操
この話は曹操の詩集である『秋胡行』の中に出てくる
「沈石漱流(ちんせきそうりゅう)」
という言葉に端を発します。
曹操はご存知三国志に登場する英雄で、魏を興した人物です。
その中にこんなくだりがあります。
「深き道理を究めんと 名山を巡り観て 国の果てまで気ままに遊び 石に枕し 流れに漱ぎ 泉に飲みて 沈吟して決めざりしが やがて高き空に上りぬ」
「沈石漱流 」はこの「石に枕し(まくらし)流れに漱ぎ(くちすすぎ)」に由来します。
「俗世間を離れて山奥で自由に暮らすこと」を表す四字熟語です。
なんだかその風景までが浮かんできそうですね。
漱石沈流と孫楚
ところが中国の晋王朝の歴史書である『晋書』の中で、西晋の武将「孫楚」について書かれた「孫楚伝」の中にこんな言葉が登場します。
「漱石沈流」(そうせきちんりゅう)
先ほどの「沈石漱流」の意味が 「石に枕し(まくらし)流れに漱ぎ(くちすすぎ)」 ですので
これだと「石に漱ぎ(くちすすぎ)流れに枕する(まくらする)」になってしまいます。
なんだが順番が変わっておかしな感じがするのですが、
これは実は、孫楚が仕官前の時代に、友人の王済という人物に自分が隠遁生活をしたくなって
少し恰好をつけて 「俗世間を離れて山奥で自由に暮らしたくなった」 と言うつもりで
「沈石漱流」 と言うべきところを、言い間違えて 「漱石沈流」 と言ってしまって、それを指摘されたときの話からできた故事成語だとされています。
王済に「流れを枕にすることはできない。石で口をすすぐこともできない」と言われた彼は
「流れを枕にするのは汚れた耳を洗いたいからで、石で漱ぐ(くちすすぐ)というのは、汚れた歯を磨くということだ」と説明したとされます。
このことから「自身の失敗や負けを認めようとしないこと」や「言い訳ばかりする」ことを表す言葉として用いられています。
この話は、中国の唐の時代の初学者向けの教科書である『蒙求』という本にも書かれています。
しかしさらに話をよく読むと、この故事成語には単に悪いイメージというよりも、むしろそういう「へそまがり」な姿勢を良しとするニュアンスも含まれていることに気がつきます。
王済は、孫楚のこの切り返しを「見事だ」と感じたともされているのです。
夏目漱石がこの言葉から「漱石」の雅号を取ったのも、そういう面からの事のような気がします。
一説にはこの故事から「感心して凄いと思う」という意味の言葉として「流石(さすが)」が出来たともされています。
夏目漱石という人物は
『吾輩は猫である』などの話からもわかるように、目の付け所がとてもシャープで
実に多彩な発想をすることができた作家です。
こういう他人と違う発想こそが、文学はもちろんですが、私たちの世界をより良くしていくための学問だったり研究だったり、あるいは文化の進歩には重要なのだと思います。
かれは小説の他に個性的でユーモアのある俳句も遺していますが、俳句を作る際に使う「俳号」も持っています。
その俳号と言うのが
「愚陀仏 (ぐだぶつ)」
なかなかに個性的な俳号ではありませんか。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。