映画「復讐するは我にあり」
昭和の時代の作品ですが「復讐するは我にあり」という映画がありました。
西口彰事件という実際の事件をモデルに描いた今村昌平氏の作品で、犯人役の俳優の緒形拳さんの名演が記憶に強く残っています。
このストーリーは佐木隆三氏の著作で直木賞を取った作品ですが、当時大変話題になりました。
タイトルにもなっている犯人が言った言葉が「復讐するは我にあり」です。
犯人はこの言葉の意味を取り違えていたという話がクライマックスで出て来ますが、ネタバレになりますので、そのいきさつについては詳しくは触れません。
この言葉は新約聖書に出てくる言葉なのですが、
おそらく初めてこれを知った方は日本人ならほぼ確実に意味を間違えて受け取ってしまうことでしょう。
普通に読むと「復讐するのは自分だ」という意味に読めるからです。
「我」は自分のことではない
しかし実は「我」は自分のことではありません。
Vengeance is mine; I will reply ,saith the Lord.
直訳すると
「『復讐は私の役割、私が報復をするだろう』と主は言われた」
という意味になります。
新約聖書の「ローマ人への手紙」に出てくる言葉です。
後半部分が入っておらず実質的な主語の説明が抜けているので、誤解をしてしまいますね。
つまり「我」はキリスト教における「神」ということになります。
仕返しをするのは自分を落とし込むこと
ここで聖書に書かれている趣旨はどういうことかと言うと
「復讐(神からの教え)をするのは私の役割だから、そんなことは自分(神様)に任せておいて、あなたは別のステップへ進みなさい」
そんな意味ではないかと思います。
つまり「仕返しをするのは自分を復讐の連鎖、恨みの世界へ落とし込んでしまうことなので、そんな感情渦巻く世界に行ってはいけない」ということではないでしょうか。
「およそ正義を語る人が常に戦いを巻き起こしてきた」というのは
皮肉にも歴史の真実です。
「正義」ほどたくさんあるものはないからです。
たとえば日本人がマグロを大好きで、たくさん捕獲することが国民の食生活を維持するために正しいことであっても
ある外国人にとっては、生き物であるマグロを食べるために獲るなんて許されないと考えるかもしれません。
だからと言って、それを止めるために実力行使を相互に繰り返していては不毛な戦いに明け暮れることになってしまいますね。
個人に置き換えて考えてみた場合にも、何か考え方の違いがあるたびにそんな応酬を繰り返していれば
感情が常に揺り動かされて、心の平穏が永久に訪れることがなくなってしまうこともあるかもしれません。
怒りは天に預けてしまいましょう
私たちは他人との人間関係の中で暮らしています。
またさらに現代では、それが拡張されてもっと大きな広がりを見せ
大げさにいえば世界に広がっています。
さらにマスメディアのニュースやSNSを通じて、世界中の色々な自分の意に沿わない情報が刻々と自分にもたらされます。
怒りの感情が湧く場面がたくさんあると言えるでしょう。
「あいつのやっていることは許されない」
「彼らがやっていることは間違いなく悪だ。鉄槌を下す必要がある」
そんな気分になることも多くあると思います。
でもそれに気持ちを揺らされてしまっていても、気持ちを揺らされている自分の方がどんどんつらくなっているのは、誰にも覚えがあるのではないでしょうか。
そんなときこそ
「復讐するは我にあり」という言葉を思い出して
「きっと奴らのことは天がなんとかしてくれるさ。自分は自分のことをやろう」
と切り替えていくことができれば
実に建設的だと思いませんか。
さすがは聖書です。
人間の心理をよく見抜いていて、本当に的確なアドバイスがされていると感じます。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。