【受験勉強のコツ】受験のゴールは「合格」です。「勉強ができるようになる」という事ではありません。

受験のゴールを取り違えている受験生

 受験のゴールは、いうまでもなく「合格」です。

そして受験のゴールは「合格」以外にはありません。

 単純に

「合格」すれば成功。

「不合格」ならその受験については「失敗」。

この二つの結果しかないのです。

 もちろんこれまでも書いてきたように

「合格」がその後の人生のすべてを成功に導くとは限らず

「不合格」が人生の失敗かというと、そうではなく

むしろ成功への鍵になることのほうが多い気さえしていますが

 当面のゴールという事になると、それは「合格」しかないというのが厳然たる事実です。

「勉強ができるようになること」で合格できるのか?

受験勉強をするときに

やってはいけないことは何かご存知でしょうか?

それは「手を広げすぎること」です。

受験の「ゴール」に向かっていくのに、直接必要のないことを手を広げて一生懸命にやることは

確かに学力を上げる事にはなるかも知れませんが、「合格」には役立ちません。

 なぜこんな話をしたかと言いますと

「手を広げすぎる」受験生がどんな試験を見ても、あまりに多いからです。

 中学受験、高校受験、大学受験、各種検定試験、免許試験、国家試験

さまざまな試験があり

私が過去に、どの試験についてもアドバイスをしてきた結果として気づいたことは

 なかなか「合格」へスムーズに進めない受験生は

皆受験を「勉強ができるようになること」といった風に漠然としたものとして考えてしまっているという事実です。

 言葉のとらえ方にもよるものの

「合格」は

もちろん「勉強ができるようになって」これを手に入れることはよくありますが

「勉強ができるようになっている」=「合格」ではありません。

 全般的な勉強ができるようになっていても、「不合格」になる事は実はよく見かけます。

逆に

受験に出ること以外はほとんどわからなくても「合格」するという事も、実はもっとよく見かけるのです。

目的と手段

 以下は、私が旧司法試験を受験していた頃

本当によく見かけた光景です。

法律や判例の事なら何でも知っているような受験生が、私の周りにはたくさんいました。

 そして彼らから、判例の出した結論について

この「法律構成のここが問題」とか

「今度出された最高裁判決は〇〇先生の〇〇説の流れをくんでいる」

といったように解説者並のアドバイスをもらったりすることも多かったです。

 ではそういう優秀な人たちが、スムーズに合格をしたかというと

知識を問われる短答式試験では、高得点で毎回合格するものの

勝負の論文試験ではなかなか合格できませんでした。

 かく言う私もその一人ですので、実によくわかるのですが

 法律学全般の力があるということと、司法試験の論文試験で

「要求されていることは何か」を正面から理解して

それに合致した、必要最小限の正しい的を得た論文を書くということは

おそらく違うものだったのだと、今は思っています。

 その証拠に

当時、論文試験が終わるたびに

その年の試験問題を批評する人もたくさんいたのです。

今の新司法試験がどういう形に変わっているかは知りませんが

おそらく今でも、そういうことを繰り返している受験生は多いのかも知れません。

 「試験問題を批評する」というのは、

それを行う時点で、受験を勘違いしているということに気づかないといけません。

 受験のゴールは「合格」しかありません。

たとえ試験問題が、聞いたことのないようなわけのわからないものであっても

その場で「それに対する最高の『回答』になることはなんだろうか」と考えて

自分の持っている能力をそれに合わせて解答するというのが、正しい受験生の姿だと思います。

「解答」というよりも、出題者の意味を正確にくむという意味で、あえて「回答」としました。

そういう気持ちが受験生には一番必要なのです。

 受験がゴールなのに、試験問題を批評するのは

「ゴールは間違っている」と言っているだけで、およそ意味がない事だと言えるでしょう。

「教養がある=試験に合格する」ではない

 ここで一番ポイントになる事は

①「試験に出されること」

②「試験で得点として評価されること」

この2つが、受験ではすべての基本にあるという事です。

 試験の批評をすることは

①の点で受験の意味を取り違えており

②まで進む前の段階で、「合格」からはすでに離れてしまっていると言えるでしょう。

 試験を変えたいなら、試験を出題する側になる事を検討するしかないのです。

 また、受験を漠然と「勉強ができるようになる」ことと思っている人は

①②の双方について、まだ無意識的です。

これについて早期に意識をしていくことが、大変重要です。

「教養がある=受験に合格する」では決してありません。

 世の中にすばらしい教養を持つ方はたくさんいます。

だからといって、みんな東京大学に現役で合格したりしているわけでもありません。

 試験に合格するということと

「頭が良い」「勉強ができる」ということは、決して同じではないのです。

 受験というのは、あくまで私の考えですが

人の全般的な知的能力を測るものではなく

「試験問題に対して正解を出す」という

いうなれば「職人的な技術」を身につける過程だと思います。

 そのことに気づくと、逆に受験への心の負担も軽くなり

やるべきことも一気に絞り込めるのではないかと思います。

今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。

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