ラッセルのパラドックス
パラドックスについてはこれまで何回か記事にしてきましたが
今回は理髪師のパラドックスとも言われる「ラッセルのパラドックス」について説明したいと思います。
理髪師のパラドックスとはこんな話です。
ある小さな町には理髪師が1人しかいませんでした。その理髪師は町中の人のひげを剃っていました。簡単に言うと町中の「自分でひげを剃らないすべての人」のひげを剃っていたのです。さあここで問題です。理髪師は自分のひげを剃ることができるでしょうか?
もし彼が自分でひげを剃るとすれば、彼は「自分でひげを剃らないすべての人」のひげを剃るという命題に反してしまいます。
彼は「自分でひげを剃る」瞬間に「自分でひげを剃らないすべての人」には含まれなくなったから「ひげを剃ることができない」ことになるからです。
「自分でひげを剃らないすべての人」というテーマを設定した時点で、このような矛盾が生じる仕組みになってしまっているため
「おやっ?」と疑問が生じてしまいますが、こういう状況を論理的に分析しようとして提唱したのがバートランド・ラッセルで、そのためラッセルのパラドックスと呼ばれているのです。
ラッセルの発見
ラッセルのパラドックスは、純粋に論理的なパラドックスとしてラッセルによって発見され、それ以後の論理学と数学の発展に大きな影響を及ぼしたとされているらしいのですが
しかし正直言って「これってそんなにすごいものなのかな」と思ってしまいますよね。
考え方としては、そもそも数学は矛盾のない論理体系であると信じられていたそうで、集合論という分野で「逆理(逆説)=パラドックス」という矛盾が生じるということをラッセルがこのパラドックスによって発見して世に提唱したということのようです。
普通に考えて「数学が矛盾のない論理体系」と言い切ってしまっていた昔の人の理論至上主義的発想にも驚きますが
理論を深く検討していった結果として「理髪師」という身近な例を挙げてその矛盾を突いたラッセルの努力もなかなかである気がします。
論理学は言葉の定義に縛られて思考をする
他のパラドックスの記事を書いた際にも述べましたが、
パラドックスは本当に論理学の思考のための言葉遊びのようなもので、直接実用性のあるものでもないようです。
「自分でひげを剃らないすべての人」のひげを剃る理髪師というような想定が、実際ならかなりおかしいですね。こういう話であれば想定は「(理髪師本人を除いて)自分でひげを剃らないすべての人」に決まっていますから…。
ただ「こう考えたらこうなって、ああなって」とあれこれ考えるには、とても面白い題材ではないかと思います。
昔大学生の頃、こういうのを真剣に議論して白熱してしまう学生を見ました。ちょっと自分の視点から考えると「議論の実益って何?」と思ってしまったのを覚えています。
論理学というのは面白い学問ですが、取り扱いには注意って言うところなのかも知れないですね。