【デカルト】「我思う、故に我あり」確かに存在するものは何なのか?

我思う、故に我あり

以前仮想現実についての記事を上げた際に触れましたが

哲学者デカルトが述べた有名な言葉で「我思う、故に我あり」というものがあります。

自分が見ているものはすべて偽であると想定すれば、自分の記憶にあるようなものが存在しているという証拠もなく、また自分の感覚もあてにならないし、物体やその形や、運動しているもの、そして場所さえも幻影かもしれない。
 しかし、どんなにそう疑っても絶対に疑えないものがある。それは自分自身がそういった物事を認識しているということである。

「我思う、故に我あり」の意味はこういう事です。

猫の視覚

 唐突ですがネコの話をします。

ネコは人間と違って赤色の波長が見えないのをご存じでしょうか?

人間が見ている色は赤緑青のミックスで色々な色を作り出されてそれを見ているのですが(三色型RGB)猫は赤を抜いた緑青のミックス(二色型GB)だそうです。

ということは、私たち人間が見ている景色とネコが見ている景色は

色合いがまったく違うということになります。

 以前記事にしたことがありますが、赤いリンゴはネコの目には私たちが話している「赤」とは違った色合い(私たちが言う所の緑だったり青だったりする色)に見えるのです。

 単に「へぇーネコって面白いね」とお思いでしょうが、このことからわかることが実は他にあります。

大変大きな真実として

「この世界はそれを見る者によって大きく違っているということ」

このことが明らかになります。

 そしてひょっとするとこれはネコと人間の違いだけではないかもしれません。

世界は同じとは限らない

 私たちは人間はみんな同じように世界を見ていると思い込んでいますが、あなたの隣にいる人があなたと同じ風景を同じように認識して見ている証拠は何もありません。

たとえば隣の人が

「あの柿の実は朱色できれいだね」と言っているとき

その「朱色」はあなたが考えている「紫色」なのかもしれません。

だってその人は、あなたの「紫色」が、自分の「朱色」と「紫色」のどちらと同じかを知る方法はなく、あなたもその方法はないからです。

 もっとわかりやすく言うと

真実はAという色あいがあるとします(この真実と言うのも疑わしい話になってしまいますが仮に「真実の色A」と言うものと仮定します)

隣の人は自分の目で見えるXの色合いをAと呼びます。

あなたはYの色合いをAと呼びます。

二人ともその色をAと言っていますが、二人の見ている色XYが本当に「真実の色A」と同じ色なのかどうかは、おそらく誰もわかりません。

極端な話世界中の人全員が違う色の事を「朱色」と言っている可能性だってあるのです。

なぜならこの世にいる人間は、誰も他人の目で世界を見ることができないからです。

デカルトは何を考えたか

 デカルトが自分の見ているものがすべて偽であると仮定して考えたのは、実はこういう思考が背景にあったのだと思います。

色だけではなく形や動きなど何もかも人によって違うものを見ている可能性もあります。

触覚なども人と違っている可能性もありますね。

 そう考えていくとすべての物事は自分の認識している中での物事であるということに気が付きます。

よくスピリチュアル的な話をする人が

「世界は自分の外にあるのではなく中にある」というような事を言いますが

これはこのような事を分かりやすく言っているだけであると思います。

自分の認識を離れて「存在」という事は考えられないからです。

 たとえば人間がある白い紙を「紙」であると認識しているときに

ある種の動物は白色が見えないとすれば、その動物にとってその「紙」は世界に存在しません。

 また、何だかこれも宗教的な話になってしまいますが

自分が目を開けている間は自分にとっての天井やベッドは存在しているのは確かですが

目を閉じてしまえば、それが本当に存在しているかどうかは確かではありません。

たぶんあると言えるだけです。

誰かが目を閉じた瞬間に消しているかもしれません(この辺りは仮想現実の稿を参考にしていただくといいかと思います)

 何よりも、もし人が死んでしまえば、その人にとっての世界は消滅するというのは誰もが分かる事です。

だとすると、これは言い方次第ということにもなるかも知れませんが

「世界は自分の中にしか存在しない」と言うことではないでしょうか。

 そしてデカルトはそういう事まで考えつくした上で

「思惟(考えること)」だけは間違いなく存在すると言ったのであると思います。

このことを最近の量子力学や仮想現実を研究している人たちの立場から、言い換えると

私たちの本体である「思考というものが仮想現実を体験しているのではないか」という考え方にもつながってくるのかも知れません。

 別の言い方ではそれは「魂」ということになります。

今回も科学的な面を重視して、できるだけ宗教的な面やスピリチュアルな面に傾き過ぎずに説明をすることを試みてみましたが

結局最後は「魂」のお話になってしまいましたね。

なかなか面白いものです。

今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。

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