あまりにもイメージが違う
Where there's a will, there is a way.
こんな英語のことわざがあります。
will はここでは「意志」の事を指しますから、直訳すると「意志のある所に道がある」という意味のことわざです。
これだけだと、「まあそんなものか」という話ですが
これと同義のことわざとして、「精神一到何事か成らざらん」ということわざが挙げられ、
テストなどで出題された場合には、訳としてこのことわざが解答とされるのが通例です。
こちらの言葉は、中国の儒学者朱熹(朱子)の言葉を集めた「朱子語類」に出て来る言葉で、
「精神を1つの事に傾けて集中すれば、何事も達成することができる」という意味があります。
でも、どうでしょうか?
2つを対比すると、あまりにそのイメージが違いすぎませんか。
道を拓く思考と根性論
Where there's a will, there is a way.は
意志があれば、そこに道が拓けてくるという
どこか希望に満ちたイメージの言葉だと思います。
何事も「考え方」こそが重要で、まず「意志」を持って先を見つめていく事が大切だということを、この言葉から示唆される気がします。
way とか will という言葉はそういうイメージを導いてくれます。
これに対して、「精神一到何事か成らざらん」というのは
「とにかく強烈な意志で突き進めば必ず成功する」ということを表現するものです。
こちらはむしろ
モーレツな根性論的なイメージの言葉と言えるでしょう。
同義のことわざとして学校では習う両者ですが
少しニュアンスが違いますね。
これは「way(道)」とか「will(意志)」という言葉の響きやイメージと
「精神一到」とか「成らざらん」といった
メンタルの傾向を強く表現した言葉のイメージが違いすぎることによるギャップだと思われます。
もちろん、言っている意味自体はそんなに隔たりがあるわけではなく
「うまく同義のものを探してきたな」とは思うのですが…。
「英語のことわざ」学習の面白さ
以前にも書きましたが、「英語のことわざ」を学んだ時に
英語のそれと同義の言葉として紹介される日本語のことわざには、微妙なニュアンスのずれがあります。
そして、そういういわば両者のミスマッチ感が、「英語のことわざ」がクイズ的なものになり
興味を持たれることになっている原因なのですが、やはり最初は、「あれっ」と感じることが多いです。
英語圏で語り継がれている言葉と、日本(多くは中国由来)で言われている言葉では
ニュアンスの違いが自然に生じるはずですから、当然と言えば当然ですね。
私たちは、そういう微妙な違いをむしろ楽しむべきかもしれません。
それにしても、実感としては、「精神一到」が「there's a will」とは何ともしっくりきませんね。
皆さんはどう思いますか?
でも、高校でテストに出たら、この答えを書いてくださいね。
問題文に「似たような意味の」ではなく「同じ意味のことわざを選べ」とあっても
「同じ意味のことわざは正確にはない」なんて正直に書くと
先生とバトルになるかもしれませんので、そこはご用心を…。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。