【大乗仏教】引き寄せの最短距離、それが「布施」

大乗仏教と小乗仏教(上座部仏教)

 ブッダ(ゴータマ・シッダールタ)が開祖とされる教え、それが仏教です。ブッダは「目覚めた人(悟った人)」という意味の言葉です。

その仏教も今は様々な宗派に分かれていて、数限りなく色々な教えがあるように私たちには思えます。

 私も仏教徒で曹洞宗のお寺の檀家ですが、もちろん日本の仏教ですから、強い宗教色はなく、冠婚葬祭や行事、儀礼的な面でお世話になったりしているのが主たるところであるのは、多くの方と同様だと思います。

 仏教自体についてはお寺で講話を聴いたり、動画チャンネルでたまにそういう話が流れているのを聴いたりするくらいで、あとは高校時代に倫理で習った知識とかを元に知っていることがあるくらい、そんな方も多いのではないかと思います。

 でもそんな方にも大乗仏教と小乗仏教については、耳にされたことがある方がいるのではないでしょうか。

 小乗仏教と言うのは文字を見ればわかりますが、大乗仏教から見て「小さな船だ」というようなイメージによる蔑称で、正しくは上座部仏教と言います。

 この上座部仏教は本来修行によって個人が悟りを開いて幸せになるということを考えており、「出家して哲学的に道を究める」という事を大切にする本来のブッダのやり方を承継したものだったようです。

この上座部に対して大衆部というグループ(部派)が生じて、そこから大乗仏教と言う新しい考え方ができました。

 大乗仏教では上座部仏教と異なり、「個人の幸せや悟りという事を超えて周りの人たちの幸せと言うものを同時に目標とする」ようになります。

もちろん小乗仏教(上座部仏教)においては周りの人たちの幸せを願わず自分の事だけを考えているかと言えば、そういうことではありません。

しかし、そこには「まず自分自身が悟りを開かなければ、周りを幸せにはできない」という考えがあるように思います。

 これに対して大乗仏教では「自利利他」という言葉が使われます。

「自利(じり」は自分の利を図ることであり「利他(りた)」は他人の利を図ることです。ここで「利」と言うのは、お金などの利益というよりももっと広く「幸せ」と言い換えた方が分かりやすいかも知れません。

つまり「自分の幸せを得ようとするのと同時に他人の幸せを得る」という考え方です。

布施とは?

 お寺などにお金を寄進することを「お布施」と言いますが、

本来「布施」と言うのは、大乗仏教の重要な6つの修行(六波羅蜜)に出てくる「布施波羅蜜」のことを指します。

「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」の6つが六波羅蜜ですが、その初めに出てきます。

仏教的には、人々に見返りを求めず財施(財物を与える)・無畏施(不安を取り除き安心を与える)・法施(教えを与える)を行うこととされています。

 ではなぜこの「布施」を行う事が大乗仏教の中で大きな価値を認められているのでしょうか。

 無償で他人にお金や安心を与えることが良い事なのは当然ですし、修行でその行をするというのも納得がいくことですが、

でもそれによって「他利」はあっても「自利」を得られるのでしょうか?

修行だけではない布施の意味とは?

 もちろん修行として「他人に尽くす」という事を身をもって覚えれば、それは仏教徒としての評価も高くなり徳も積めることになりますから、

その意味で「自利」を得るということになるのは当然だと思いますが

私は布施が「自利利他」を実現するということの意味は、もう少し大きい話ではないかと思います。

 それはこういう事です。

「布施」の意味が、宗教的には上記のように財施・無畏施・法施とされていますが、それは修行のための「波羅蜜」という例示であって、本来意味するのは「他人ために何かよくしてあげるすべての事」を指しているのだと思います。

 そうだとすれば、それはすべていずれ回り巡って自分自身の所へ帰ってくる性質の事柄だと言えるのではないでしょうか。

 利害に関係なく他人に親切にすれば、その他人は必ずそれに感謝の念を抱きます。

その感謝の念は何かの際に必ず現れてくるものです。

 たとえば、近所のおばあさんが道を渡るときに横断歩道で困っていたのを手を挙げて渡れるようにしてあげた若者について、おばあさんが老人会の席で「そうそう、〇〇さんの家のお孫さんね、本当に優しい人でね」というような話が何回も出て、

それを聞いていたそのおばあさんに好意をもっていた町の大きな企業の名誉会長を務めるおじいさんが、その若者の名前を憶えていて・・・なんてストーリーは簡単に思い描くことができますね。

 お金だけでもないのです。「利他」が「感謝」につながり循環することがあるのは・・・。

 日々他人と共にさまざまな人間関係を持ち社会生活を送っている人なら、これは実はいやと言うほどわかる真実だと思います。

小乗仏教(上座部仏教)的な「自分を高めて」という観点からは、どうしても出てこないのがこういう他人とのつながりの中で幸せを作っていくという思想なのではないかと思ったりします。

 そして実際の社会生活においては、むしろ「利他」と「感謝」によって他人とつながっていることでしか大きな幸せはやってこないと言ってもいいくらいです。

 私も若い頃は「他人との競争に勝つことが一番大切」というようにに世の中をとらえていた時期もありましたが、長く社会生活を送れば送るほど、この世界は考えている以上に「人と人とのつながりや心の交流」によって成り立っていると思うようになってきました。

だから「自利利他」と言う考え方と広い意味での「布施」という行動は、

自分自身を高めたり修行をすることよりも、もっとずっと大きな意味と力を持っていて

結局のところ、他人だけでなく「自分自身の幸せを引き寄せる」教えなのではないかと思います。

ぜひ参考にしてみてください。

今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。

 

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