山本五十六(やまもといそろく)
山本五十六は太平洋戦争(大東亜戦争)当時の日本海軍の軍人です。
戦争映画を見ることがある人はご存じの方が多いと思いますが、あまり見たことがない人は名前すら知らない人が多いかもしれません。
彼は連合艦隊司令長官として数々の作戦を指揮して、太平洋戦争開戦のきっかけとなった真珠湾攻撃の奇襲作戦を立案した人物です。最終的には元帥(軍の最高指揮官)となりました。
もっとも好戦的な軍人ではなく、むしろ戦争には大反対でした。日独伊三国同盟に最後まで反対をして、その後もアメリカとの戦争だけは避けるべきと主張をし続けていました。
冷静な現実主義者で、いつも内外の戦力や潜在能力をしっかり分析していたと言われています。
教科書に出てこない国を守った偉人たち
我が国の歴史の教科書は、ご存じのように第二次大戦後GHQに占領された際に大きく書き換えられてしまったもので
特に第二次大戦に関する記述で、日本に正義があったというような記載は一切許されなくなっています。
最近ではネット上や出版物でその真実が明らかにされてきていますが、メディアでは相変わらず、日本を自虐的に陥れる歴史が延々と流され続けています。
ご興味のある方は小林よしのり著「戦争論」をご覧になるといいでしょう。
漫画ですが、かえってそれだけに、太平洋戦争(大東亜戦争)の真実がリアリティをもって見事に描かれています。
歴史の教科書には未だに、日露戦争で我が国を守った英雄秋山兄弟の事も、
国際金融資本勢力の支配する欧米列強にアジアが侵略されそうになる中、山本五十六たちが、どんな思いでアジアの独立を守るために戦ったのかについても、一切書かれてはいません。
日本の歴史教科書は相変わらず敗戦国の教科書なのです。そして教科書には出てこない偉人がたくさんいるのです。
山本五十六は残念ながらミッドウェー海戦の後、ブーゲンビル島上空で撃墜されて戦死します。
そしてこの時期を境に、日本は急速に敗戦に向かっていくことになったのです。彼のような存在は、国の精神的な支柱であったのかも知れません。
山本五十六の科学的思考
山本五十六は、当時の大戦においても「神風が吹く」というような非科学的な考え方をせず、論理的に敵と味方の戦力と戦況をしっかり分析して、思考をすることができる人物だったように思われます。
彼は他の多くの軍人とは姿勢が異なっていました。
日清日露戦争の勝利によって自信を持ち「日本はアメリカにもきっと勝てる」というような楽観論を述べたりするようなことは一切なく、
物資や軍備力で大きな力を持っているアメリカとの戦いについては、最後まで反対をしていました。
しかしその一方で、真珠湾の奇襲攻撃という極めて冷静な戦術を企画実行したという点で、きわめて高い現状分析力と思考力を持っていた人物なのだと思います。
つまりきわめて科学的な思考をする人だったと言えるでしょう。
人を導くには
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」
これは山本五十六が述べたとされる有名な言葉です。
全文は、「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」というものです。
これは人に何かを教えたり、指導する際の注意点が非常に詳しく丁寧に表現されています。
私たち教師が人を指導する際に、注意しなくてはならないことがすべて網羅されていると言っても過言ではありません。
このような言葉からしても、山本五十六が只者ではなかったことがすぐわかります。きっと彼の指導を受けた軍人たちは、非常に学ぶことが楽しかったに違いありません。
逆に教師たるもの、いつもこの言葉を胸に人に何かを教えていくべきだと思います。
実は青雲学院の全教室にも、この山本五十六の言葉が貼ってあります。
この言葉をいつも忘れずに、指導に取り組んでいきたいと思っています。
それにしても凄い人が日本の歴史にはいたものですね。
また機会があれば、そんな偉人のお話をご紹介していきたいと思います。