【仮想現実】粒子と波動の二重性からの推論「目を閉じれば世界は消え、目を開ければ世界は存在する」

波動であり粒子である

 量子力学の世界でたとえば「光は波動であるとも粒子(光子)であるとも言える」

「粒子と波動の二重性がある」ような研究結果が報告されています。

有名な「二重スリット実験」など学者の研究の謙虚な結果として、「光は波であるとは言い切れない」「光は粒子であるとも言い切れない」という事が分かってきました。

 更にその確定にどうも観測者の視点が関係しているということも報告されるようになってきました。

 現在では「不確定性原理」が提唱され、波動の正確な位置を論じることは意味をなさず、粒子の完全に正確な位置も決まらない一方、さらに位置が比較的定まってくると、波動はパルス状になって今度は波長が定まらなくなるという解釈が有名になっています。

 この内容を科学的に深く掘り下げた記事は世にたくさんありますが、正直複雑な計算式などの掲載が多くて、「じゃあ結局どうなの?」というものは少ないように思います。

しかしこれは当然のことで、科学者や学者は「不正確な事」や「アバウトな事」を口にすることができないから、論拠をきちんと積み重ねたものしか公表することができないのではないかと思います。

 でも私は幸いにも科学者ではないので大胆な「推論」をすることが許されていると思います。

そこで「粒子と波動の二重性」が結局どういうことにつながるのかということを書いてみたいと思います。

 実際にはどんな状態?

 よく言われるのは量子力学で研究された結果は超ミクロの世界の実験結果なので、これをもってマクロなこの世界の真実に話をつなげるのは早計であるという主張です。

 まあ確かに原子核をパチンコ玉とした場合に原子全体の大きさは東京ドームくらいになると言っても、本当に自分の体を組成している原子の中にそんなスカスカな空間があるという気はしないものです

*実際には電子雲というものとしてエネルギーを持つ塊的なイメージで考えられているので、スカスカというのも実際にはあくまでたとえです。

 しかしどんなに小さな世界であっても、それが現実の私たちが見ている世界を構成していることは間違いありません。連続性がないというのであればその理由をはっきりさせなくてはいけないはずですが、そのあたりについては説得的な理由を確認したことはありません。

 もし仮にこれがマクロの世界でも通用する話だとすると、素直に推論すれば、やはりこの世界が言ってみればシミュレーションゲームの中の世界のようになるというのが結論になると思います。

 これは「既にデカルトのような哲学者も、おそらく考えていたことがあるのではないか」と私は薄々思っているのですが、

私たちが見ているものはすべて「私たちが見ているその時だけ姿があり存在する」という結論です。

 シミュレーションゲームの中では、ゲームの規模が大きくなるとそのゲームを円滑にプレイできるように、情報量をできるだけ節約する必要があります。

たとえば町全体をゲームで常に動かしていようとすれば膨大な情報をインプットしないといけませんが、それではゲームはパンクしてしまいます。

だからプレイヤーが動いているその部分だけ表示をするようにして、それ以外の場所は動作をストップしておくのです。

そうすれば町全体をずっと動かすのに比べて圧倒的に少ない動力でゲームを運営することができます。

 これを粒子と波動の二重性に当てはめてみれば、

①プレイヤーが見ていない場所はその空間には「波」として物にはなり切っていない「状態」が広がっていて、「オフ」の状態になっている。

②プレイヤーが対象としたり見た瞬間に、その「波」が突然「粒子」となり、その空間に「物質」に見える物が出現する(「オン」になる)

こういうことではないかと思われるわけです。

つまり「目を閉じれば世界は消え、目を開ければ世界は存在する」という事は、実は大きな意味を持っているということになるかと思うのです。

虚心坦懐な推論の重要性

 いろいろな考え方があると思いますが、

量子力学で粒子と波動の二重性が認められたことを「変な事」「ありえない」という方向で考えれば、もちろんこんな話にはなりませんが

「そういう結果を結果として尊重する」「事実を前提に考える」という立場で推論をしていけば、こういう話になるのが私は論理的ではないかと思います。

もちろん反論はたくさんあると思いますが、素人である人間が自然に推論をしていくとこういう結論になるという、そういう話です。

 ただ専門家というものがいかに視野が狭く、そのための弊害も大きいということは、今回の騒動で私たちは嫌と言う程知ったことでもあります。

 そういう時代ですから、「目の前の現象に素直に目を向けてそこから真実を探していく」という考え方は、これから先には非常に重要な思考法になるのではないかと思っています。

 最近の専門家の方がよく用いがちな論法で、主張したい結論を導くために、反対説論破に用いる「論拠がはっきりそろうまでは、それは真実ではない」という思考法は明らかに誤っています。

「論拠がはっきりそろうまでは、それは真実かも知れないし真実でないかもしれない」というのが正しいのです。

シミュレーション仮説

 こういう形で推論をしていくと、「この世界は自然現象としてビッグバンをスタートに始まり、進化論の言う通り順に生き物が進化をして、その結果現在がある」という理論とは全く異なる結論にたどりつきます。

それは「この世界は誰かが創った仮想現実である」という結論です。

つまり「この世界は、巧妙で精密に創られたシミュレーションゲームのような世界である」ということになります。

 現在多くの人たちがこの「世界の仮想現実説」を主張しており、「シミュレーション仮説」とも呼ばれています。イーロンマスクが賛同したことでも有名ですね。

 いまのところ私の考えでは、「この考え方を覆す根拠の方が見つからないのではないか?」というところであり、圧倒的に説得力がある考えのような気がしますが、皆さんはどうお考えでしょうか?

もちろん「じゃあ誰が創ったの?」「そんな荒唐無稽なことあり得ない」

そういう意見があるのは、十分理解できます。

 しかしもしこの世界がシミュレーションだったとして、そのことによって私たちの生活は何も変わりません。

むしろ「何だゲームだったのか、それならつらいことも1つずつクリアしていけば、楽しいゴールがあるの?」

そんな風に前向きに考える題材になるくらいではないかとも思います。

 ただこの世界の仕組みを考えることは、決して科学者の独占免許ではありません。

彼らに任せておけば「もうすぐ石油はなくなり大変なことになる(ならなかった)」

「ダイオキシンでみんな大変になる(ならなかった)」

「地球温暖化でツバルは沈む(沈まなかった)」

「核戦争がすぐに起きる(まだ起きていない)」

など悲観的な未来ばかり、しかも来もしない恐怖の明日ばかりになると思うのは私だけでしょうか?

 私たちが楽しい未来を考えてあれこれ推論することの方が、とても面白くてわくわくすることではないですか?

いろんなこともっと考えてみましょうよ。

今後も皆さんのお役に立ち情報をアップしていきます。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA