【意識の正体】意識はどこにあるか。「脳?」「量子空間?」「いずれスマホ内にも?」

脳活動が先

 人の「意識」というものについては、「誰もがそれがある事を知っているのに」「誰もまだその仕組みを説明できていない」ものであると言われています。

 この「意識」については、アメリカの生理学者ベンジャミン・リベットの行った有名な実験があります。

 このリベットの実験では、人が動作を始める約0.2秒前に「意識的決定」を表すシグナルが現れるが、その電気信号の約0.3秒前には、その表れである「準備電位」が現れる。つまり「こうする」という意識的決定の約0.3秒前に、脳により指示が下される兆候があるとされた。

 この実験は、脳の決定の後で意識が生まれることがわかったので、世間では「人には自由意志がない」ことを示す実験とされているようですが、後半の0.2秒で意識による脳の指示の変更自体は可能であるからので、むしろ「自由意志はある」という方向で、当のリベットは考えていたようです。

 しかし脳活動が先に起こっていて、その後に意識的決定があるという事は、いずれにしても意識と脳活動との間に私たちが普通に感じているのと大きな齟齬があることは確かでしょう。

 「意識」していないうちに「脳の指令」が起きていることになるからです。

だとすると、意識が全面的に脳の活動によるわけではないという可能性があることになります。

大脳の活動が停止しても意識がある

 「意識」に関してはまた別の有名な話があります。

 アメリカのハーバード・メディカル・スクール准教授のエベン・アレグザンダー氏は、長年脳神経外科・神経内科に携わった超一流の脳神経外科医で、研究者としても世界中にその名が知れ渡っていましたが、その著作『プルーフ・オブ・ヘヴン』で自身の臨死体験について脳科学の専門家の立場からこれを肯定する意見を発表しています。

 彼は典型的な唯物論者で、臨死や死後の世界について全く信じていなかったのですが、ある時重度の細菌性髄膜炎(難病)を発症し、7日間の昏睡状態に陥り彼自身が臨死体験をしました。

 彼の大脳皮質は完全に機能停止した状態にありながら「意識」の活動である臨死体験をしたのです。臨死の記録は世界中にありますが、脳科学の専門家が自らそれを報告したことで大変な反響が起こりました。

 この報告は、臨死や死後の世界についての研究が広がる大きなきっかけになったと同時に「意識=脳の活動」というこれまでの常識に大きな疑問符を打ったものと言えます。

意識の在処は?

 では「意識」が脳の活動によるものでないとしたら、「意識」はどこにあるのでしょうか?

 次に問題になるのはそこです。

 最近流行の量子論的解釈で言うと、意識は「脳ではなく量子空間にある」というような表現になるのかもしれませんが、結局のところ「脳という物理空間」ではないどこかにあるのではないかという事になってしまうでしょう。

 「何を言っているかわからない」そう言われるかも知れませんが、これは当然です。

「脳ではない所のどこか」にあると言われて、具体的な場所が言えたら、それはそれで今の科学から考えた場合にはおかしいのです。少なくとも物理的な空間ではないと推論されますが、当然論理的結論としてそこは目に見える場所ではないからです。

「今の所わからない」と言うのが正しい記述になるでしょう。

 もちろんスピリチュアル的な説はたくさんありますが、それはあくまで想像の域を出ません。しかし現在の科学者の姿勢として私がおかしいと思うのは、現象が存在するのにその論拠が出せない場合には、現在ある理論でそれをどうしても説明してしまおうとするという点です。

「現象が存在するが理由がわからない」と言う場合には、理由はわからないが「いずれわかるかも知れない」と考えて、推論をもっと自由に広げて検証を行っていくべきなのだと思います。

現在ある理論体系を大前提においている時点で推論の自由さはかなり少ないものになっている気がして仕方がありません。

大昔「空の上に宇宙空間がありそこには空気がない」などと言ったらそんな学者は学会を追放されたはずです。しかし後世になればその推論には観測能力が備わった人類によって論拠が与えられました。

おそらく科学の進歩と言うのはそういうことです。

 ただ、「意識」が脳の外にあると言っても、普通イメージが難しいと思います。

 もしイメージを持ちにくいという方は、映画『マトリックス』をご覧になるといいと思います。

 そこでは現実の世界は、ただのマトリックスの中にある仮想空間であり、現実の自分は、全く別の機械に囲まれたカプセル的なものの中に居て、主人公たちは、あたかも自分が活動をしているような「意識」だけの夢のようなものをずっと見させられているというような設定がされています。

スマホに「意識」が入り始めている?

 以下の話は、この世界が仮想現実かも知れないという話とつながる話かも知れません。

 最近スマホの設定が日々進化していて「あなたへのおすすめ」が微に入り細を穿つ状況になってきていることにお気づきでしょうか。

 AIなどの機械学習プログラミングによるアルゴリズムにより、黙っていてもスマホを使っていれば、どんどん自分に合った内容の商品や見たいものがカスタマイズされて目の前に現れるようになってきています。

 文字を打つワード変換も、自分が良く使う言葉の一文字目を打てば候補がぱっと表れてくるので、何をするにもストレスが少なくなってきています。

 おそらく近い将来、音声変換やウェラブル端末が発達してもっとスムーズに自分の思い通りに何もかも見たり聞いたり話したりできるようになり、スマホは自分自身の思考に関する機能と合体に近い接近(物理的合体でなく機能的な合体)をする時がくるでしょう。

 もっと進んで、たとえば「思っただけで何かができる」というようなことも可能になってくるかもしれません。すでに視線を向けるだけで指示を出せるようなものは実用化されています。

 だとするならば近い未来には、「人の脳からの指令をよりダイレクトに伝達して指示を出す」というよりも、むしろ実際には「機能的に人間の意識の延長上にある存在」にスマホのような機器がなっていく状況が出現するようになる事も、流れとしてはあるのではないかと思われます。

 上手く表現できませんが、「意識の拡張」というものが機械によってなされるという可能性があると思います。

 もちろんこれは人体に何かを施すというものではなく、今問題視されているNWO的な話とは全く別の話で、周辺機器の側の機能の極限までの向上によって「意識」にかかわる部分まで機会が代替する役割を持ち始めるのではないかという意味においての話です。

 しかしこのような事をあれこれ考えてみると、「意識」と言うものが、やはり単純に「脳」の中で電気信号で発生する物理現象だけにとどまる存在ではなく、人間の物理的存在の内外に存在するもの、そしてそれは更により広く拡張する可能性をもったものであるのではないかと思います。

 最後に、以前の記事でも述べたことですが、

「あなたが目を閉じれば世界は消えてなくなり、あなたが目を開ければ世界はそこに存在する」という真実があります。

だとすると、世界はたとえそれが何億光年の広がりをもつ巨大なものに見えていても、実はあなたの外側ではなくあなたの内側にあるものに過ぎないという考え方もできるわけです。

 じゃあその場合の「意識」はどこにあるのか?

その場合の解答は「どこにも偏在する」というものになるかも知れません。

仏教や哲学、あるいは心理学で出てくる「普遍的意識」(言い方にはそれぞれ差があります)と言うようなものは、おそらく背景にこういう考え方があるのではないかと思います。

 いずれにしても今後科学として研究をしていくべき非常に面白いテーマ性を持っているものだと思います。

一番人々が興味を持っていると思われるのは、おそらくこういうテーマの研究ですが、エベン氏などのごく例外を除き、脳科学者のほどんどはおそらく「意識」が脳の外にあるなどという思考は最初からしないので、期待しても無理でしょう。

むしろこういう問題については、門外漢の人が新しい学問を作って風穴を開けるのを期待したいですね。

どうでしょうか、未来を担うお子さんにこういう研究を託してみるというのもいいかも知れませんよ。

 

 

 

 

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