「お盆」の風習と「盂蘭盆会」のネーミングの違和感
今年もお盆の時期がやってきました。
子どもの頃から、このお盆の風習は、仏教的であり、かつ郷土的な感覚もあり、過去に亡くなった方や、ご先祖様を年に一度改めて心の中に思い出して、供物を捧げたりして温かくお迎えする良い習慣だと思っていましたが、
ずっと「お盆」という言葉には、不思議な響きを感じてきました。
それは、お盆の正式名称が「盂蘭盆会(うらぼんえ)」であるという事を聞いてからも同じでした。
いや、なお一層「それって何?」という疑問が深くなりました。
「お盆は盂蘭盆会だよ」と言われても、漢字も見たことがないようなもので違和感がかなりありました。
不謹慎な話ですが、これを知った若い頃は、ちょうど暴走族ブーム真っ盛りで「よろしく」を「夜露死苦」と書いた暴走族が走り回っていましたので、「そういう当て字っぽいな」と思ったりしたものです。
事実、ネット上には「お盆の正式名称は盂蘭盆会」と書かれているものはたくさんありますが、肝心の盂蘭盆会については『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』に出てくるという事くらいしか説明は見かけませんでした。
盂蘭盆会としての歴史
日本では一般にも正式にも、この行事は「お盆」の名称で通っていて、お寺の行事もそれで通用する場合がほとんどですが、
本来の名称「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と呼ばれるこの習俗的な行事は、仏教的行事としての「餓鬼道に堕ちた者を供養によって救う」という趣旨と、日本古来の祖先の霊を敬うという趣旨が融合した形で、古くは7世紀頃から宮中の行事として行われたのを皮切りに行われてきたようです。
「お盆」の歴史はかなり古くからあったものだったのです。最初はこのように皇室が行ってきたものですが、次第に庶民の行事になっていったのだと思われます。
そして元々の盂蘭盆会の意味ですが、それは『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』に出てくる次のような話が由来の元になっているというのが、通説的な解釈のようです。
釈迦の十大弟子の内の一人である目連(もくれん)は神通力を身に着けたので、亡き母が餓鬼道に堕ちてしまっているのを見つけたので食事を与えようとしましたが、餓鬼道の炎によってどうしても食べることができませんでした。
そこで困った目連は母親を救う方法を釈迦に相談したところ、釈迦は「彼女は生前の罪によって苦しんでいるから、僧侶を招いて多くの供物を捧げ、七代前までのすべての苦しんでいる先祖を救うための供養しなさい。そうすれば救うことができるだろう」と言われます。
目連がその通りにしたところ、その功徳で母親だけでなく先祖の苦しんでいる人たちも極楽往生が遂げられたということから、精霊を供養する盂蘭盆会の行事が生まれたという話です。
「お盆」のネーミングも「盂蘭盆(うらぼん)」から来ていることははっきりしています。
じゃあ「盂蘭盆」って何?
ではこの変わった言葉「盂蘭盆」と言うのは、一体どこから来た言葉でしょうか?
『盂蘭盆経』というお経の名前自体が、ちょっと耳慣れない語感の言葉ですよね。
『盂蘭盆経』とよばれる経典は、竺法護(じくほうご)という当時の翻訳をする僧(訳経僧)が翻訳したとされる仏教経典だとされています。
この「盂蘭盆」の語源は長く、サンスクリット語の「ullambana(ウランバナ)」=「倒懸(とうけん)」=「手足を縛り逆さまに吊るすこと」という言葉から来ていると言われてきました。
サンスクリット語と言うのは、古代インドの標準文章語で、今海外や日本でも若者に人気があるのは、サンスクリット語が漢字圏の国で使われた「梵字(ぼんじ)」で、いわゆる「梵語(ぼんご)」とも言われる言語です。
これによると「うらぼん」と「うらばんな」の音感はほぼ同じように聞こえますよね。
それを前提に、上記の話についても、母親が手足を縛られて吊るされているのを助けるというストーリーになっているものもあるようです。
しかし近年、仏教学者の辛嶋静志という方が新たな解釈を提示しました。
それによると「盂蘭」はサンスクリット語の olana(オーラン=ご飯)が語源であり、「盂蘭盆」は、「ご飯を盛った器」という意味になるらしいです。
「『うら』ぼん」と「『おーらん』ぼん」なら音感も似ています。
先ほどの餓鬼道の話からすると、こちらの方がストーリー的には合っているようにも感じます。
いずれにしても、遠くサンスクリット語から来ている言葉が「お盆」の由来だったことを聞くと、時代的にも距離的にも、人々の思う事や願う事、大切にしている事というものは、いつでもどこでも、やはり同じなんだなと思わずにはいられません。
皆さんもどうか、ご先祖様、あるいは亡くなった身近な方を偲び、温かいお気持ちで今年のお盆をお迎えください。