【スーパー自己改良力】人間だけがなぜ自分の意志で簡単に自分を変えることができるのか?

自己改良力

 私たち人間は学ぶことで何か新しい事を知り、あるいはトレーニングすることで自分の身体能力を強化して、色々な困難を乗り越える事ができます。

 猫のようなかなり高度に進化した生命体である哺乳類を見た場合にも、確かに、何か失敗から学び取るような行動様式を取ることがありますが、

その場合の行動は学びというより、危険回避という半ば反射的な行動であって、「この知識を身に着けていこう」と言うような主体的なものではもちろんありません。

 また色々な外敵やライバルと戦って、その結果高い身体能力を身に着けることはあるかも知れませんが、「よし、下半身を鍛えて早く走れるようにしてネズミを捕るぞ」なんてことは決して考えていないと思います。

 そう考えると意識的に自分という個体の能力を向上させていこうなどと考える生き物は、少なくともこの地球上には人間以外にはいないようです。

 まずこのことが大変不思議と言えば不思議です。

 なぜこれだけたくさんの生き物がいて、進化論によれば生き物は皆進化の過程をたどっているのに、人間とそれ以外の生き物の間に横たわるこの巨大なレベルの格差は何であろうかと思わざるを得ません。

やはり人間は自然に進化してきたものではないのかも知れません(シュミレーション仮説)

 少し話がそれました。

このように人間が自分自身を意識的に向上させていく力をもち自分をいわば改良していくことができる力を仮に「自己改良力」と名付けるとして、

この能力があるからこそ、人類はこのようにこの地上で科学を進歩させ繁栄をしているという事ができるでしょう。

 子どもでも誰でも「さあ、僕は頑張るぞ」そう思って努力をするだけで、別人のように変化できることを思えば、もっと大げさに「スーパー自己改良力」と言っても言い過ぎではないと思います。

しかし人間みたいなロボットは簡単には作れない

 自然に人間が進化によって生まれたという事を否定したとしても、じゃあ「こんな高度な人間というものを一体誰かが創ったのか」と言われれば、それも「?」となってしまう所です。

 なぜならば普通に考えて、もし科学が進歩してあらゆるタイプのロボットを人類が作り出せるようになったとしても、人間のように「自分の能力を意図的に発展させる」タイプのロボットを作るのは容易ではありません。

 たとえば「自分で思い立って」「筋トレして筋肉がどんどんついて太い腕になる」そんなロボットを想像できますか?

しかも筋肉の付き方は千差万別で、トレーニングの度合いやメンタルによって三日坊主に終わったり、逆にびっくりするほどスタイルが良くなったりするのですよ。

色んな意味で、ちょっと考えられない高度なロボットですよね。

 AIが発展すれば最終的にはそういう事も可能なのでしょうか?

その点は専門家ではないのでわかりませんが、AIが最高のペースでこの先発達していったとしても簡単にはできないのではないかと思います。

これは一番議論があるところですが、「意識」や「意志」が機械に生じうるのだろうかという疑問もあります。

 まあ、簡単に言えば、それくらい人間は精巧にできていて素晴らしい存在だということです。

 よく「神は自分に似せて人間を作った」とか、「人間が実は神かもしれない」などと言われることがありますが、そういう考えも、以上の事に照らし合わせれば無理からぬ発想かも知れません。

100年壊れないもの

 最近は身近な家電製品も性能が高いものが多くなってきました。

例を挙げれば、冷蔵庫やテレビなどは、私が子どもの頃は、壊れたり使えなくなったりすることがありましたが、

今では、ほどんどそんな事はありません。

ただ新しい製品が続々と出て来るため、買い替えをしてしまい、実際には、何時まで使えるかがわかるという事がなくなってきてしまっています。

 しかし製品の寿命が劇的に伸びているのは確かです。

それでもなかなか100年壊れる事がない製品を作るのは、至難の業ではないかと思います。

 よく家については「100年持つ家」などという形で宣伝がされている事がありますが

家でさえ、100年間持つのはとても難しいということなのでしょう。

壊れないという事の意味

 「物が壊れない」というと、私たちは、それが完全な作りであって一部の隙も無いものと言う風につい思ってしまいますが

実はそうではありません。逆の発想の方がむしろ真実に近いことがあります。

メインテナンスをすることによって物の寿命を延ばすという事はよくある事で、

 たとえば家についても、屋根のペンキを塗り替えたり壁を補修したりして、定期的にメンテナンスをしていくのと、そのまま放置していくのでは、寿命は天と地ほど違って来るでしょう。

本当の意味で「壊れない」と言うのは静的な完全性を指すのではなく、動的な変化可能性を併せて考えたときに、より本当に「壊れない」という状態が達成できるのではないかと思います。

語彙的な射程は、少し外してしまっている部分もあるかも知れませんが・・・。

進化していく事

 では単に修復可能というものを越えて、さらに環境に応じて、その性能が進化していくようなものであればどうでしょうか。

100年という年月の間には、環境も当然変化します。

もしその環境に応じて性能が進化していくことができれば、当初のまま変わらない場合に比べて劇的にその寿命も延びることでしょう。

 「そんな都合の良いものがあるはずはない」そう思われる方も多いと思われます。

 しかしたとえば、上記で述べたAIなどはそういう可能性を秘めた、「進化型の機械」だと言えます。

ディープランニングという形の学習を自らすることができるため、どんどんその機能は進化していきます。

 現在はマシンの頭脳部分の進化にとどまりますが、いずれマシン全体の自己修復といえるような事を行い、永遠に壊れない機械というものが出現することまでは、ほぼ確実ではないかと思います。

ただ更にそれを越えて「自ら様々な形で発展できるか」というとそれは未知数ではあります。

学習する存在

「『学習』というものは、これまでの機械にはできなかったが、AIには出来る画期的なもの」

そう考えて見て、ふと思いつくことがあります。

 ほかならぬ人間というものが、日々学習する生き物であるということです。

 そういえば、近く人の寿命というものが延びて100年になるという話があります。

どのような製品より何よりも、人間自身が「100年の風雪に耐えるもの」と言えるのです。

 冒頭で述べたように人間は、重いものを運ぶ運動を毎日行っていると、筋肉がついてきます。状況に合わせてポテンシャルを上げていける機能が、人間には備わっているのです。

このことはまさに驚異としか言いようがありません。

機械でも何でもないのに、「自己修復機能」がごく自然に備わっているだけでなく、さらに「環境の状況に合わせて進化していくことが出来る」という事は、本当に驚くべきことだと思います。

 これはつまり、AIを優に超えるスーパー機能を、誰もがごく当たり前に持っているということです。

今のところは、人間だけが「自分の意志で簡単に自分を変えることができる」のです。

人類が誰かによって創られた存在であるか、あるいは自然に進化してできた存在であるかどうかにかかわりなく、

 私たち人間がこのように本当に稀な素晴らしい能力を持った存在であることに気づくと、

何だか勇気がでてきますね。

この与えられた能力を100歳まで、何に生かして生きて行けるのか考えて行きたいところです。

今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。

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