英語は文法ばかり、国語は読解と漢字ばかり
英語の学習と言うとまず関係代名詞だの間接疑問文といった英文法が頭に浮かぶのが、今の学校英語です。
確かに長文の学習もやりますが、それは教科書の英文を順にやっていきましょうという形で、予備校や塾でやっているような、パラグラフリーディングなどの「長文の読解の方法」を学習するのとはちょっと違います。
「単語はこれ」「新しい文法はこれ」「意味はこれ」「外国の文かはこう」と言ったパーツを順にやっていっている感じです。
結局暗記学習が主体で、「やり方」はなかなか身につかないのかも知れません。
だから大学受験の共通テストでも、「英文法ばかりやったのに英文法は惨敗、長文の学習はあまりしなかったから初手の長文が上手く解けない」という悲劇がよく起こります。
ところがこれに対して国語の学校での学習では、「ことばのきまり」という別冊子で学習する学校が多くあるにも関わらず、国文法はそんなに時間を取って学校で問題演習をやらない傾向があります。
高校での古典文法は別ですが、小学校中学校の現代語の文法は、明らかに生徒の理解度に対して指導の割合が低いように感じます。
これは今に始まったことではなく、私が学生だった昭和の頃から同じです。
私の経験をお話すると、中学の時どうにも品詞の種類や分類がすっきりわからないので、参考書も今のように多彩にない当時、学校でもらったけれども授業ではあまりやらない「ことばのきまり」を隅々まで読んで自分で勉強をしました。
学校の授業では教科書の読解を順に指名して生徒にやらせたり、漢字のテストをしたり、作文を書いたりする時間が多く、国文法の時間はわずかでしたので、友人たちは文法がほとんどわからず、よく私に聞いてきたのを覚えています。
とにかく文法については、高校でも中学でもよく質問をされました。
私は完全に自学で文法を得意にしてしまったので、その後文法で苦しむことは一切なかったのですが、「『ない』は助動詞の場合と形容詞の場合があって・・・」というのが、まだ碌に助動詞や形容詞の意味もわからない生徒の前に登場する学校の教科書を使ってだけの学習では、皆わからなくなるのは当然な気がします。
何が言いたいかというと、「読解・漢字熟語・作文」などを学習する「国語」の授業と別に「国文法」という授業を設置しないと、普通の生徒たちが国文法を得意にするのは極めて難しいということです。
その意味で今の学校で国文法を習う時間は明らかに少なすぎると思います。もちろん学校や先生にもよりますが、カリキュラム的には全然少ないです。
「ことばのきまり」も学校の教科書の進度が余裕があるときに、アリバイ的に短期間でやって、ほとんどを宿題化している先生も見かけます。
そういう事情もあってか高校入試に文法の問題が出る割合は年々少なくなっているようですが、そういうやり方をする先生程、「確認のため」と称してテストでは文法問題をたくさん出したりするので、生徒はたまったものではありません。
文法が苦手な生徒の多さに驚く
中学国語の文法の学習については、得意な生徒が珍しいくらいに、苦手にしている生徒が多いのが実感です。
このことについては「なぜなのだろう?」と長らく疑問に思っていました。
あるとき生徒と話していて、気づいたことがありました。
その生徒は品詞と文節が同一のものと誤解していたのですが
聞いて見ると「ことばの単位」という言葉を聞いたことがないというのです。
不思議に思って、その後もよくいろいろな生徒にこの質問をしてみたのですが、ほとんどの生徒が答えられませんでした。
「ことばの単位」というのは、実は文法の一番最初に出てくる学習内容です。
数学や理科に単位が出てくるように、ことばにもその要素の大小による「単位」というものが存在します。
大きい順に「文章・段落・文・文節・単語」というのが「ことばの単位」です。
たとえば「km・m・cm・mm」のような「長さの単位」と比較してみてください。
その意味の理解がしやすいと思います。
実はそれぞれの種類に分けて習っているだけ
文法の学習の大半は、実はこの「ことばの単位」の種類を順番に分けて習っているだけなのです。
まず「文章」は、学校国語的には通常「文学的文章と説明的文章」に大別され、さらに多くの細目(論説文・小説・物語・紀行文など)に分類されます。
ただ、ここは文法での学習対象からは少し外れます。
次に「段落」は「形式段落と意味段落」に分けられますが、ここはまあ用語を押さえておけばよく、重要度はさほど高くありません。
また、「文」も「単文・複文・重文」に分けられますが、中学文法ではそんなに内容は深くはありません。
何といっても文法の学習で大きな割合を占め、生徒たちが苦手意識を持つのは、「文節」と「単語」の二つの単位の学習になるでしょう。
文の成分って何?
「文節」は、その文節の働きや役割に着目して分類した場合には、「文の成分」という名で種類分けがされます。
この「文の成分」っていうもの、小学校からずっと生徒は学習してきているのですが、
このタイトル(文の成分)では頭の中に入れていないため、生徒の多くは、「文節」の学習と「文の成分」が有機的に結びついていません。
では「文の成分」とは何だと思いますか?
実は、おなじみの「主語・述語・修飾語・接続語・独立語」というやつなんです。
連文節の場合は「語」ではなく「部」になりますが。
何かよくわからないまま、文節の切り方を練習して、今度は「独立語とは?」と言われ、「連文節を探しなさい」と言われて四苦八苦しているのは、
そもそも自分が今何を勉強しているか、その位置がわかっていないことによるところが大きいのかもしれません。
「ことばの単位」の学習の中で、「文節」の実質的な種類である「文の成分」で「文節」のつながり方のパターンを覚えているのだということが分かれば、いろいろ見方が変わって来て混乱が少なくなると思います。
私の経験では、「文の成分」と質問して、上記の5つがスッと出てくる生徒はかなり少ないです。
体系的理解が全くできていないということになるでしょうか。
単語の種類って何ですか?
更にことばの最小単位である「単語」については、分け方の学習が先に来ることから、生徒はさらに混乱します。
何せ「れる」「られる」が助動詞となる単語であるということさえ知らない時期に
「『食べられている』を単語に分けなさい」という学習をするのです。無茶だと思いませんか。
一応小学校で習う、ことばの分け方の学習の延長線上にある学習ではありますが、先に「助動詞や助詞はこれ」と教えた方がわかりやすいのは間違いありません。
私は誰かが、すべての生徒が国文法を苦手になるように、こんな学習の順番にしているとしか思えません。
「単語」の種類が動詞や形容詞といった「品詞」ということになりますが、この点もたぶん多くの生徒がつながりを持って学習することはできていないように思います。
パーツのところだけ詳細に学んでも面白くない
文法が苦手になる理由は、このようにバラバラになったパーツの部分だけやけに詳しく勉強をしているので、
話がつながらず自分が何をやっているか一向につかめないということにあります。
また上記のように、学習する順番にも問題があるように思います。
ですので、一番いいのは、ある程度学習してから、もう一度文法の本を最初から読み直してみることです。
今の国文法の指導の過程は、一回通り通ってから、もう一度繰り返して見て全体像をつかまないとよく理解できないようになってしまっているように思います。
全体像をつかまないままの学習は、言ってみればどんどん深い森に一人で入っていくようなものです。
面白いわけがありません。
また学習しているパーツを組み合わせることによって、思っていたよりもずっと簡単だったということもよくあります。
だから、一度全体を見渡すことをやってみてください。そうすると意外に見えなかった部分がつながります。
体系的理解というのは、こういうことだと思います。
今後も皆さんのお役にたつ情報をアップしていきます。