目玉クリップ
皆さんは目玉クリップをご存じかと思います。
オーソドックスなのは金属製の銀色のクリップで取っ手の所が丸になっていて中に丸い穴がついているものです。
最近はプラスチック製の物やカラフルな色の物もあります。
ネーミングの由来を知っているわけではないですが、一目見て目玉のようなのでこういう名前になっているのではないかと思っています。
この目玉クリップは相当古くからあるものだと思いますが、昔子どもたちがこれで遊んでいたのをふと思い出しました。
遊び方
皆さんこの目玉クリップ、その子どもたちは一体何に使っていたと思いますか?
ある子どもは、これを斜めにおいて「大砲だよ」と言っていました。
また別の子供は「お馬さん」といっていました。ちょっと無理があるような気もしましたが、馬の背中に見えたのでしょう。
他には逆さにして丸の方を背に見立てて、「これ宇宙船だよ」と言って見せてくれた子もいました。
なるほど色々な発想があるものだと思って関心したのを覚えています。
もしあなたの子どもこんなことを言って遊んでいたら、あなたならどう言葉をかけてあげるでしょうか?
発想を伸ばす
ひょっとしてこんな反応をする方がいるかも知れません。
「それは紙を挟むものだ。何遊んでいるんだ」「手を挟むと危ないからやめなさい」
確かに、これは正しいことを言っています。小学校低学年だと少し無理かもしれませんが高学年だと十分クリップを開くことができるので、遊んでいて手を挟むことはあり得ます。
しかし、それでそういう遊びをすべてやめてしまうように仕向けてしまうのは惜しい気もします。
危険についてはしっかり説明するとして、様子をみてコメントしてあげるのもいいのではないかと思います。
何かしら独創的な発想を生み出せるようになるのは、こんなちょっとした遊びの時間の発想から始まる事が多いからです。
その時も私は、「手を挟むなよ」「でも凄いな!宇宙船か?」と言ったら、子どもたちの盛り上がったこと、なかなかのものでした。
物事の見方に決まりをつける事が視野を狭くする
私たちが毎日目にしているものは、何かしらの用途があって作られていることが多いですが、生まれたばかり子どもにもしそれを見せても、それが何かはきっとわかりません。
たとえばスプーンが食事に使われるというのは、子どもが家庭の中での社会性を身に着けて、そのことを学習して初めてわかることです。
それ以前はただの金属の造形物としか、彼の眼には見えていないのです。
元々この世界にあるものはすべてそういう仕組みになって、誰かが「これはこういうもの」と定義した形で普通に使われていますが、極端に言えば社会のシステムや科学などもすべてそういうものだと言えます。
最近大変ブームを巻き起こしているフラットアース(地球平面説)なども、学校教育では「何を馬鹿な事を」と一笑に付される考え方ですが、実際には宇宙飛行士やNASA以外には宇宙に出たことがある人はいないのです。
そして世界の人々がよく目にしている、あの丸い地球の衛星画像の中には合成画像だと分析されているようなものもあるようです。もちろん真偽は別としても、発想自体としては地球平面説もありうる考え方だといえます。
大切なのは、「思考の柔軟性」です。
「これってこうかもしれない」という発想を持てるということが、今の時代には非常に重要になっていると思います。
「こうに決まっているよ」は早計なのかも知れないのです。
現代はすべての事について先行きが不透明であり、今まで信じていたことが逆転したり、営利のために偽りの情報を流す人たちもいて、固定観念に縛られているとそういうことに対してなすがままになってしまう危険もあります。
だからこその「これ宇宙船だよ」なのです。
大いに発想をほめてあげてください。これからの未来を動かす人材はそういうところから生まれるかも知れません。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます