嫌な事を言われたら…
わたしたちは他人から嫌な事を言われたり、思ってもいない反発を受けたりすることが時にあります。
多くの人が、相手がなぜそんなことを言うのか、なぜそんな行動をとるのか不審に思い、感情的に怒ったりすることでしょう。
このような怒りは、人間として当たり前に湧き上がる感情です。
しかしどうでしょうか。よくよく考えてみると、そういう行動を相手がとる理由は、それが正しいかどうかは別にして、すべて自分にあることに気がつきます。
「相手の立場を考えずに上から目線で指示をしてしまった」というようなありふれたことから、「その人の弱点をそのまま指摘してしまった」というような、相手のポジションや状況を気に掛けない言動をして怒らせてしまっているようなことは、人により事の大小はあれ日常生活では割とよくあることです。
この場合に「こちらが正しいのだから何も問題がない」と言ってしまえばそれで終わりですが、それだと相手の反発や自分に向けた厳しい言動はさらに続き、そのため必要のないトラブルを生じてしまうこともあります。
簡単に言えば、「無用の敵を作る」ということになるでしょうか。
別の例を考えてみましょう。
たとえば突然「君には困り者だ。もっとまわりの事も考えて」なんて上司に言われてカッとなることがあったとします。
自分としては身に覚えがない場合には、周りの人に十分に気を使っていたつもりなのにそんなことを言われて「何を言い出すのか」と上司に対して感情的になってしまうでしょう。
しかしよく自分を振り返ってみたら、「先週のプレゼンが成功したのを自分だけの手柄のように自慢してしまっていた」ということに気づくかもしれません。
あるいは「自分がチームリーダーなのに、いつも仕事が遅れがちなAさんをフォローせず、きつい言葉を吐いていた」なんてことがある場合もありえます。
これも別に必ずしも自分が悪いという状況ではありませんが、他人が何かを言ってくれたおかげで、自分自身を振り返るきっかけをもらっている例だと言えます。
神は人の口を借りて助言する
「神は人の口を借りて助言する」という言葉があります。
私たちは神様のアドバイスを求めたいときもありますが、残念ながらそれは物理的には不可能です。
しかしこの世の仕組みは上手くできているもので、あなたに必要な助言は、色んな形であなたの耳に入るようにできているのではないかと思います。
それは「他人と言う人の口」を通して伝えられるのです。
「自分がどう行動すればいいかを神様は直接教えてくれないが、自分のまわりにいる人の言葉を通してそれを伝えてくれている」というのが、「神は人の口を借りて助言する」という言葉の意味です。
「まさか、そんなはずはない」と感じられる方もいるかも知れません。
しかし、これは超常現象を言っているのではなくて、物事の見方の問題です。
振り返ってみてください。あなたが何か自分の行動を変えようと思ったとき、あるいは何かしなくてはいけないと感じたときなど、さまざまな場面で、誰かの言動がきっかけとなって、それをしたということは意外に多いのではないでしょうか。
私の個人的な経験を言えば、自分に対して反発をしたり嫌な態度をとる人が現れるたびに、自分自身への新しい発見というものがあったような気がしています。
優しく笑顔で対応してくれる人も有難いのですが、実は「自分の言う事を聞いてくれない人」「自分に対して権威的に対応してくる人」と出会いその人に対することで、自分が知らなかった新しい対人的な対応を学ぶことができたということが、思っていたよりも結構あったように思います。
ちょっと角度を変えると、「他人の苦言というものは神の助言に他ならない」のかも知れないと思えてきます。
もちろんその場で自分に湧き上がる感情は簡単に処理できません。それは当然の事です。
こんな風に悟ったような事を書いていますが、その当時は怒りに震えて、毎日お腹が痛くなったりするのを我慢して、そういう人へ応対していたのは言うまでもありません。
でも後で振り返ってみると、「実はあの人たちは役者でわざとあんな事を言ってくれていたのかも」なんていう空想をしてしまう位に、その時の経験が後に役立っていることに気づいたのです。
皆さんも振り返ってみれば、そんな経験が一つや二つあるのではないかと思います。
だから「ああ、この人は神様の代わりの役者さんだ。よく聞いておこう」くらいに考えて、その反発の言葉の裏側の本質である「なぜこの人はこういうことを言っているのか」に耳を傾けると良いのではないか思います。
その思考は、必ずあなたにとって良き未来を導いてくれることになると思います。
「天に口なし 人を以て言わしむ」
これと同趣旨の言葉として「天に口なし 人を以て言わしむ」という言葉があります。
「天には口がなくて話すことができないから、人にそれを言わせるのだ」という意味ですが、まさに同じような事を言っていますね。
もっともこちらは、ちょっとお告げっぽいイメージではありますが…
平家物語の「天に口なし、にんをもていはせよ」という言い回しから来た言葉のようですが、昔の人もやはり同じようなことを感じたのですね。
日常で身の回りに起こる事には、おそらくすべて他の物事とつながった深い意味があると思います。
一度立ち止まって、冷静に自分自身を振り返る時間を持つというのも大切かもしれません。
そこでは、感情とは別の意外な発見が待っていると思います。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。