面接が心配
面接というものは色々な時に行われます。
入学試験はもちろん就職試験、社内資格の応募や昇進試験など、筆記試験とは別に、あるいは単独でそれだけでという形で行われます。
そして一部の人を除いて、「面接が心配」という人は大変多くいると思います。
いや実は、後述しますが「面接には自信がある」という人の方が用心した方がいいかもしれませんので、その意味では面接が主観的または客観的に心配な人は全員と言ってよいかもしれません。
学力試験ではないことを考える
たとえば一口に高校受験の面接試験と言っても、色々なタイプのものがあります。
推薦試験における面接試験で単願試験系の場合には、人物確認の意味合いが強くなります。
学校間で推薦された生徒について、「わが校に合格させても本当に大丈夫かどうか」を面接で確認するという趣旨で、念のために行うという場合が割と多いと思います。
また逆に国立高校受験の推薦面接などのように、推薦された生徒の中からごく一部を選抜するという、競争率の高い面接試験もあります。
こういう試験では、他と差をつけることができる十分な面接対策が必要となります。
しかし他と差をつけるという事を狙ったと途端に、面接試験は難しいものになります。
多くの人が自分を過剰にアピールしなくてはならないと思ってしまうから、実際に面接官から見ると、似たり寄ったりの「自分自慢」を聞かされることになるからです。
その意味では「相手が何を見ているのか」ということを知っておくことが大変重要になってきます。
面接官の意図に反して饒舌に話せば逆にマイナスイメージを作ることもあります。試験官は普通の人間ですから、「ぺらぺらといい事ばかり言う口ばかりの奴」と思う人だっているはずです。
面接に自信があると言いきるタイプの人は、そういう面で自分が気づかずに失敗をしていることがあります。
「差をつける」とはそんな簡単なことではないのです。
これに対して一般入試の面接は、また少し意味合いが異なってきます。
全国的に見ると、公立の高校入試において、試験初日に筆記試験・二日目に面接試験というような形で行われることが多いかと思いますが、都道府県にもよりますが、相対的には多くの生徒がこういう形の面接受験を受験します。
このタイプの面接試験については、中学校で何回か面接対策指導が行われるのが通例ですが、生徒に対して、面接試験というものの意味合いまでアドバイスされることはほとんどありません。
だから生徒たちは、受験に向けて筆記試験の勉強を一生懸命やりつつも、面接試験については漠然としたイメージしか持てず、受験の直前になって慌ててしまうということもあります。
そういう混乱を防止するためにも、やはり面接試験については「何をテストしているのか」という事を一度しっかり自分の頭で考えてみるということが重要なのだと思います。
その際のヒントになるのが、実は面接試験が「学力試験」ではないという事実です。
人物を見ることは共通
「学力試験」である面接試験も、国家試験などではよくありますが、高校入試においての面接試験は、競争率が高い場合でも、普通「学力試験」ではありません。
言い方に語弊があるかも知れませんが、対比した言葉で言えば「人物試験」ということになるでしょうか(もちろん人物を試験するという事などは、基準が無数にあるためそれ自体が無理なことですが...)
試験の目的を分かりやすく言うと「あなたがどんな人なのかをざっと見る」という事です。試験官の知りたいことはそこにあるのです。
少なくとも、「光合成について知っていることを言いなさい」「ええと、植物が光を浴びて・・・」というような試験ではないことは確かです。
これは高校入試については共通のことであるかと思います。
だとすると、試験対策のスタートはこの事をよく考えて行うべきことになります。
どういうことかというと
「間違ったことを言っても、それだけで減点という訳ではない」という事です。
生徒に話をさせることで、その生徒の人物像を試験官が感得するというのが目的なので、正しい事を言っていれば〇、間違った事を言えば✖という試験ではないことになります。
こういう大前提を知らないまま、面接試験の怖さばかりを学校で話されるため、生徒は「少しでも間違った事を言ってはいけない」と萎縮してしまい、面接練習をやってみると、何も言えなくなってしまうという事態に陥ることもよくあるのです。
これは、面接に対するイメージを誤った結果生じるマイナスの効果だと言えます。
就職試験においても同様です。就職の準備をする人は「間違ったこと」「失礼なこと」を言わないようにすることに目が向きがちで、そのための準備を就職面接の準備だと思っています。
「そつのない、礼儀正しい、なんでも正しく知っている」そんな人物だけを本当に企業が求めているのでしょうか?
企業側の考え方にもよりますが、企業が求めているのは間違いないところで言えば、それは「企業に今から必要な人物」です。「そつのない、礼儀正しい、なんでも正しく知っている」と「企業に今から必要な人物」は、似ているようで実は同じではないという事を一度よく考えてみる必要があるでしょう。
真摯な姿勢を示すことが最も大切
このような前提で考えて見ると、一般入試の面接試験で、受験者が一番念頭においておかなくてはならないことは
「自分の姿勢を見てもらう」というイメージになります。
大切なのは、入試で言えば
「自分は本気でこの高校で学びたい。そのために来ました」という姿勢です。
そして高校入試の場合、一般入試の面接は定員や倍率にもよりますが、筆記試験・学校からの評定(内申)などでほぼ合否が決まった後、最後の判定段階の資料として面接が参考にされるに過ぎない場合がかなり多いと思います。
面接試験で逆転合格をしたり、あるいは面接の出来が悪くて、それが原因で不合格という事は実際はほとんどないというのが実感です。
面接というものが、どうしてもかなり主観的な判定になる以上、受験設営側としても客観的情報である、筆記の得点と内申点で決断をする方がベターだと考えているのかも知れません。
そうだとすると、なおさら試験官が
「どんな生徒だろうか。入学させても大丈夫かな」という事を見るのが、やはりこの試験の位置づけになることになるでしょう。
生徒としても、それを念頭に置いて
「自分は合格しても大丈夫な生徒ですよ」ということを示せばよいことになります。
もちろん、直接言うというのではなく、回答を通じてそれを示すわけですが・・・。
何を対策するのかが見えて来る
そしてこのイメージからは、面接対策で何を準備したら良いかが見えてきます。
最低限の定型的な質問への回答を準備しておくのは当然ですが、たとえば「高校に入って何をしたいですか」と聞かれて、部活動の話しかしなかったりすれば
「何のために高校に入るの?」ということでその姿勢を疑われてしまいます。
実際、志望動機で部活の事だけを延々と話したりする生徒もよく見かけますが、学業を基本に置いての部活ですので、そういうアピールはマイナスではないかと思います。
あるいは、専門学科の受験であるのにその学科で勉強することを知らない生徒は
やはり試験官の側から見ると「おや?」ということになります。
「受かりそうだから、うちの高校を選んだだけかな?」とつい思ってしまいます。
面接試験で見られる事というのは、実はそういう「姿勢」なのです。
学校では、面接と言うと、礼儀作法や歩き方、そして「目を見て話せ」などというアドバイスをされることが多いようですが、
中3生くらいで、そういう事がスイスイとできるというようなことは、そんなに要求されていはいないと思います。
たとえば、大人の方であれば、高校入試の試験官を、仮にあなたがやるとして
礼儀作法も流ちょうで、目を見て堂々と話を出来る生徒だが、受験校を少し低く見ていて(滑り止め)そんなにその高校に興味がないことがはっきりしている生徒と
話し方もたどたどしく、お辞儀も上手くできない上に少し緊張でそわそわしているが、受験校の学習内容を楽しみしていることが目の輝きや口調からはっきりとわかる生徒がいた場合に、どちらを合格させたいでしょうか?
結局そういうことなのだと思います。
面接試験は、その意味で生徒の「心」が見られてしまう試験でもあるのかも知れません。
これはすべての面接試験に言えることです。
私は生徒の面接練習も、そして青雲学院の塾講師採用の面接についても、30年近くやってきてます。
その中で気づいたことは、みんな驚くほど「相手のことがわかっていない」と言う事実です。
簡単に言うと変なマニュアルを一生懸命研究しているばかりで、面接官の立場から考えてみるという一番最初にやらなくてはいけない想定をしないのです。
入学試験であれ就職試験であれ、面接官がどういう気持ちで面接をするのかを一度よく考えてみてください。
そしてその際に一番気を付けることは「面接官は神様ではない」という事です。あなたと同じ普通の人が面接官をやるのです。そういうイメージで想定をすると自分が準備すべきことが見えてきます。
「神様だからこちらは1つも間違えてはいけない」「神様なので余計なことは言っちゃあいけない」「神様だからたぶんそこはしっかり見てくれる」
これらは全部間違いだという事に気づくはずです。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。