【読解力をつける】一番重要なのは「文章の中に入って風景を見る力」をつけること

読解力がない

 特に小学生や中学校前半の生徒に多いのですが、保護者の方が「この子は読み取りが苦手で」とか「文章題で聞かれている意味が分からなくて」と言われてご相談を受けることがあります。

ちょうどそのくらいの年齢になると読解力の差が学力の差に表れやすくなるのだと思いますが、それまでは漢字や知識的なもので比べられがちであった国語力も、すこし手の込んだ質問を含む読み取り問題で試されるようになって来たりして、お悩みの場合も多い気がします。

 読解力というものの正体については別の稿でいくつか記事を上げていますが、学校で問われる読解力は真の国語力というレベルの物ではありません。

実際ある程度のベースがあれば読解テクニックで満点などは簡単に取れるものだと言えます。

しかしその前提となるベースになる読解のやり方への理解ができていないと、非常に回り道をしてしまう事になります。

今回は「読み取りをする」ということと「文章の風景を描く」つまり文章に「入り込む」という事について書いてみたいと思います。

読解力のない生徒の共通点

 国語だけでなく、とにかく読解問題は苦手という生徒がいます。

問題を解こうとしても、文章が何を言っているのかを十分に把握できず

周囲に書いてあることを適当に組み合わせて、出題と全く関係のないことを書いていたりします。

聞かれていることの意味もわからない。

文章に書いてある内容もつかめない。

自分の書いていることが問題とつながっているのかどうかもわからない。

そんな状況をよく見かけます。

 生徒を指導する中で私は、なぜこのようなことが起こるのかを長年考えてきました。

その結果、読解が苦手な生徒には共通点があることに気が付きました。

それは、文章に「入り込めない」ということです。

字面を追うだけ

 文章を上手く読み取れない生徒にもいろいろなタイプがいますので、苦手にも段階はあります。

しかし概して、読解力がなく文章に書いてあることを上手くつかめない生徒は、

文章に自分が「入り込む」ということをせずに、字面だけで読んでいるということが多いのです。

 例を挙げて説明します。

たとえばこんな文章があったとします。

 国道を走っていくと、木製の白い立て看板があった。目を凝らしてみると「高松海岸」という文字を何とか読み取ることができた。

「ここだ」「ここだ」二人の声はほどんど同時に、しかし少しだけずれて、まるで輪唱のように周囲に響いた。

そして目を合わせて、僕らは大声で笑った。周りには車も人もいない。国道沿いの割には静かな場所である。

強い日差しは無言の圧力で畑や林、小川などあらゆるものを照らしていた。

(夏休みが始まったんだ)ぼくは不意にそう思った。

 ここまでくる間は何とも感じなかったのに、看板を見たら急にそんな気持ちになったのが自分でもおかしかった。

(でも何だかさっきとは違う)(坂を降りたらもっとはっきりする)

二人は自転車の向きを変えて坂道をゆっくりと降りて行く。かなり急な坂なので自転車のスピードはぐんぐん増していく。

(転んだら大変だ)

二つ目のカーブを曲がりスピードを落とした時、突然、風と共に今までとは違った香りがぼくらの周りに満ちてきた。

「近いぞ」思わず、僕は叫んだ。

 こういう文章を生徒が読んだとします。

「二人はどこへ行くのですか」という質問なら、大体の生徒は「海岸」「高松海岸」という答えを書くことができます。

でも「満ちてきた香りは何ですか」とか「香りに気づいた時の『ぼく』の心情は?」というような問題だと何を書いたら良いかがわからないという場合があると思います。

これは、「潮の香り」とか「海が近づいて待ちきれない気持ち」というような書き方がわからないということもありますが、

自分がその場にいる感覚で読むということをせず、

自分の頭に浮かぶの風景中の「海に降りて行く坂道の情景」を「見て」いないため、わからないのです。

この状況だと、本当に何を答えたらいいかわからないという場合が多いと思います。

 たとえば「坂道で自転車のスピードが出て怖い気持ち」 とか「暑い日になるのでつらい気持ち」というような惑わせる選択肢があれば、軽々と引っかかってしまうというレベルです。

頭の中に情景(景色だけでなく登場人物の気持ちも含む全体像)が浮かんでいないので、

自転車で坂道を下っていく「ぼく」の気分がわからないのです。

「入り込む」ということが分かっていない

 特に物語や小説に多いのですが、自分が文中の情景の中に「入り込む」ことをして読んでいくということは、大人であればほどんどの人ができます。

でも、最初からできた訳ではありません。

 小学校で本を読んだときやあるいはもっと幼児の頃に本を読んだときに、「これ、おもしろい!」と思って本を読み進むという体験をして子どもたちは、文中に「入り込む」ことを自然にマスターします。

 でもそういう体験をしないままであったためか、小学校高学年や中学校に入ってからも、文中に「入り込む」ことが上手くできない生徒が結構います。

これが上手くできないと、驚くほど読解問題の正答率が低くなります。

できる人にとっては当たり前で難しいとも感じないことなのですが、実はできない人はかなり多くいると思います。

 問題に対して全く的外れな解答を書いてしまっている生徒は、十中八九このことが原因となっています。

 では、どうしたらよいのでしょうか。

答えは簡単です。

今からでも文章の中に「入り込む」ということを体験して覚えていけば良いのです。

 できれば何冊か物語を読むと良いでしょう。

国語の教科書を読んでも「面白くて夢中になる」というのはなかなか難しいので、興味を持てる本を読み進むというのが良いと思います。

 もちろん自分がその物語の中に入り、その情景をしっかりと頭の中で映像化して読み進むことが大切です。

 たとえば映画などはビジュアルでわかりやすいため、「入り込む」ことはわりと容易ですが集中力がないと途中でストーリーを見失います。

文章に入り込み続けるのは、それよりもう少し集中力が必要かもしれませんが、慣れてしまえば、さほど難しくなくなります。

 読解を得意にするために、何も読書家になる必要はありません。

少し楽しく本の世界に入ればよいだけの事です。

そうやって情景を思い描く楽しい読書を多くしてきた生徒は、読解が自然に得意になるということは間違いがありません。自分の目で描写を「見る」能力を身に着けているからです。

 だからもし読解を得意にしたいならば、遠回りのようでも、こういうやり方で本を読むようにしてみるということをお勧めします。

今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。

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