教育への信頼の低下
「学校へ通って先生の言う事をよく聞き一生懸命勉強して、進学をして一流企業に入るのが幸福な人生である」
そんな価値観を持っていた人が昭和の時代にはたくさんいました。
かく言う私も、そのような価値観を色濃く社会や親によって植え付けられていた一人です。
ただ自分の場合は最初から弁護士や経営者などの自分の裁量がきく仕事がしたかったので、企業という選択肢はありませんでした。
しかし「学校へ休まずに通うのは当然」「先生は絶対的正義」「一生懸命努力すれば報われる」という価値観は、当時を知っている人であれば皆わかると思いますが、実際に社会の隅々まで浸透していたように思います。
今振り返っても幸いなことに、当時私に指導をしてくださった学校の先生方は極めて優秀な人が多かったように思いますが、それでも理不尽な事を言ったりやったりする先生もたくさんいました。
教師に殴られるというのは当たり前に経験をしていますし、給食を食べられずに授業を受けられずずっと食べさせられていた生徒や、廊下に立たされたり、罰として授業を受けられない生徒なども見かけました。
校内暴力と言う言葉もまだない頃でしたから、教師に強く歯向かったり、ましてや殴るなどという生徒はいませんでした。
もちろんそれが良かったと言っているわけではありません。そういうものだと社会や親が思い込んでいたという話です。
メディアの力
ところがテレビで暴走族の特集がよく流されるようになった頃から、雰囲気が変わってきました。テレビドラマでも教師に反発する生徒の姿などが描かれるようになったのもこの時期だったように思います。
やがて今度は校内暴力や暴れる中高生の話が頻繁にメディアで取り上げられるようになりました。いつの間にか「先生は権威主義の象徴」というようなイメージができてしまったように感じました。
今でも覚えていますが、それまで本当に先生と仲良く話をしたりしていたごく普通の生徒が、ある日当時流行のつっぱり風の制服や頭髪をして学校へ登校して、いきなりそのいつも仲良く話をしていた先生たちに挑戦的な行動をとるようになったのを見ました。
あれは今思うと、彼は完全にメディアに影響されて「悪い生徒」を演じていたように思います。その時の先生の対応が悪かったため、次々に模倣する生徒が増えてしまって一時期かなり学校の雰囲気が悪くなったという記憶があります。
でも先生としては、そんな体験などは今までない事で「寝耳に水」だったに違いありません。きっと沈静化は大変だったのではないかと、今大人の立場になってそう思ったりしています。
変化していく親の考え方
日本はやがて高度経済成長時代を終えます。そして高い大学進学率の世の中になりました。
当然学校へ通う生徒の親も高学歴の方が多くなります。学校の先生より弁が立つ親がたくさんになり、たとえば教育的見地で子どもを叱るだけで、保護者が学校にクレームを言ってくるというような事態も増えてきました。
もちろんこれも良い事か悪い事かは、事例ごとで異なる事だと思います。
昭和の時代のように教師に不当に殴られても泣き寝入りなんていうのはとんでもない事ですが、教師が生徒のためにしたことも単に形式的平等の要件を満たさないという理由(多くのクレームはこの点で来ると思います)だけで悪とされてしまうことで、教師が指導のために行える裁量は依然と比べて格段に小さくなってしまいました。
何か生徒に体験させたくても「もし危険があったら責任を誰がとるのか」というような思考で企画は簡単につぶれてしまったりします。
さらに、高度経済成長期の後半からバブル期にかけては世の中に仕事が有り余るほどありましたので、教師になろうとする人のことを「でもしか先生」などと言って揶揄するメディアのドラマなどもありました。
「教師でもできる」「教師しかなれない」という意味だったと思います。
記憶がありますが多くのメディアでこの言葉は聞かれました。お笑い番組だったかと思いますが、先生に対して「先生もでもしかですか?」なんて平気で言っているのを見たことがあります。
「メディアの人と言うのは、こういう場合にそれを見た生徒の事を想像することはできないのかな」と思ったのを覚えています。
メディアというのは本当にろくなことをしません。こんな呼称が流行れば日本の教育はどうなるのかと、当時大学生だった私は心から思ったものです。
学校の先生は本当に社会における地位を不当に低下させられ続けました。もちろん社会の流れや景気による影響もあると思いますが、原因の多くは日本のマスメディアが導いたことであると感じます。
なぜなら海外の教育者は、現在も日本の学校の先生よりもずっと尊敬される存在である場合が多いからです。
いわゆる「ひどい事をしたり言ったりする先生」「素行の悪い教師」「教え方が下手な先生」は昭和時代の方が実際には圧倒的に多かったと思いますが(その反面、凄い先生もたくさんいましたが・・・)
TVや報道を見ているととにかく「先生が年々劣化してる」というイメージを持ってしまいがちです。彼らが、コンプライアンスで学校をがんじがらめにしておいて、「教師は小粒になった。昔の先生たちは・・・」と言っていたりするのを見ると、現場の先生たちが気の毒になるのは私だけでしょうか。
よく巷で言われることですが、マスメディアはおそらく最初から日本の教育を悪くしようという意図を持っていたのだと私は思っています。
戦後のアメリカによる占領政策で、日本の実力を少しでも削ごうとする考え方を汲んだメディアのプロパガンダが、昭和時代はともかくその後着実に浸透してしまったのかも知れません。
実際に学校の先生にお会いすると、多くの方が子どもの未来を守ろうという情熱を持っていて、テレビドラマに登場するような悪い教師などは今も昔もごく少数だと思います。
でも普通の先生を描いてはドラマは売れないのでしょう。商業主義というのはそういうものです。
未来を創るのは子ども
今非常に厳しい状況がわが国を襲っています。
地方は別ですが、おそらく国際金融資本の意図的な行動により、西側諸国の一員である日本においては、今や国政がほぼ機能していないのに近い状態にあると思います。
「今だけ金だけ自分だけ」という意識の人が社会のトップにたくさんいる国になってしまっています。ピラミッドの上だけを見て政治や仕事をしていると言っても過言ではありません。
しかし悪政はいつまでも続くものではありません。人間には英知があります。
このようなひどい状態だからこそ、反面教師として深く何かを学び、これからのわが国を新しく立て直していけるような人材が生まれてくる余地がむしろあるのかも知れません。
私たちはそういう未来を創る人材を育てていかなくてはなりません。
教育は国政やメディアが決めるだけのものではなく、身近な私たちの日常や地域にあります。
学校の先生はもちろん、親や、そして私たち教育に携わる者が少しでもそういう意識をもっていくことがとても重要なのではないでしょうか。