衝撃を受けた出来事
私が教育に携わるようになってもう40年以上になりますが、その長い教師としての人生の中でも、今も覚えているある衝撃的な出来事があります。
25年前の当時私は司法試験受験を家族のため断念して転身して塾を開設したのですが、自分が勉強について、そして教えることについてはずっと大きな自信を持っていました。
「どんな生徒も必ずできるようにしてあげられる。勉強はうそはつかない」
そんな風に意気込んで日々指導に熱中していました。
そんなある日、生徒がこう言うのです。
「先生いくら勉強しても全然覚えられない。昨日は2時までやったのに一つも覚えられてないみたい」
「どういう事だろう」と思った私は詳しく話を聞いてみました。
その生徒は大変一生懸命勉強をする真面目な子で、当時青雲学院は授業形式で指導を行っていたのですが(現在は個別指導のみ)いつも教室の最前列で私の一言一句を聞き漏らさないようにという気持ちで聞いているように見えました。
まだその生徒を教え始めて間もない時期でしたので、いったいどういう勉強のやり方をしているのかに興味があり掘り下げて聞いていくと、意外なことがわかってきたのです。
私「炭酸水素ナトリウムを熱するとどうなる?」
生徒 「炭酸水素ナトリウムを熱すると白い粉末と水と、ええと・・・」
私「白い粉末って何?」
生徒「わからない」
私「なぜ白い粉末って言ったの?」
生徒「教科書に書いてあったから」
私「それが何かは気にならなかったの?」
生徒「まだそこまで覚えてない」
この時点で話に違和感が生じてきました。
そこで詳しく聞いて見ると、その生徒は何と教科書の内容を理解して勉強しているのではなく、教科書に書いてあることを「そのまま順に覚えようとしていた」ということが分かりました。
だから白い粉末が炭酸ナトリウムであることにさえ気づかなかったというわけです。
そしてよく聞いてみると学校の授業もノートを丁寧にとってそれをほぼ暗記しているというのです。それも重要な言葉や意味を取って覚えるのではなく、書いてあることをそのまま覚えようとしているというのです。
「それでは時間が足りるわけがない」
何よりもそんなやり方では何も頭に入ってはこないし、勉強が楽しくなくなってしまう。
その生徒は「宿題も丁寧にやっていて時間ばかりかかっている」と言っていました。
「どうしてこんなことになっているのか?」
私は本当に衝撃を覚えました。
「勉強のやり方が根本から間違っている」
というか「『勉強』の意味がそもそも分かっていない」
そんな気がしたのです。
一から学び方を教える
その日からその生徒に「学び方」を私は一から教え始めました。
まず最初にやったのは口頭での問答です。
「酸化銀を分解するとどうなる?」
「分解は1種類の物質が2種類になること」
「じゃあ酸化銀ならどうなる?」
「酸素と銀」
「じゃあ酸素と銀は何という物質を分解すると出てくるの?」
「わかりません」
という具合です。
分解は1種類の物質が2種類になること
酸化銀→酸素と銀
という事を言葉として覚えているだけなので、逆のことを聞くと答えられないのです。つまり「意味の理解」がすっぽりと欠け落ちているのでした。
だからたとえば
「酸化銀が2つに分かれて酸素と銀になるなら、酸素っていうのは元は何だったの?銀は元はどこから現れたの?」
というような意味をつないでイメージできる話をしてあげたのでした。
もちろんすべての事柄にそれをついてやってあげるわけにはいかないので、簡単ではありませんでした。
しかし、彼女が抱えていた問題「『勉強』の意味への誤解」は次第に解けていきました。
要するに「勉強」=「すべて覚える事」というのが彼女の頭に植え付けられていた固定概念だったのが、
「勉強」=「自分の頭を使って考えることをやってもよい(そうでなければ概念はつながりをもって定着するはずもない)」という発想に変わり始めることができたということです。
学び方を知らない生徒の多さ
この話をすると多くの人が
「そんなの作り話でしょう」
とおっしゃたり
「極端な話だね」
そう言われます。
でも意外にそうではないのです。
多かれ少なかれ「学び方」がおかしなことになっている子どもはよく見かけるのです。
私自身が小学生のころから『小学生の学び方』なんていうような本を読んで勉強のやり方を工夫するのが大好きな少年だったので、自分が人を教えるようになって初めて
「学び方を知らない人がいる」という事実に驚きました。
そして心底不思議であり、それが私たち青雲学院が学ぶ力を少しでも多くの方につけてあげたいという発想をしたルーツでもありました。
「『学び方』を色々楽しく考えていけば、こんなにも学問の世界は広がり、面白くワクワクするのに、それを知らないままで勉強をしているなんて、そんなの単なる苦行じゃんか」
そう強く思ったのです。
学び方は自習のやり方とか時間の使い方だけじゃない
最近は塾業界では「学ぶ力」の必要性を強調する流れがあります。自立学習というのがそれにあたります。
確かに時間の使い方や自分で学習をプランニングする力(私たちは学習デザイン力と言っています)が大切であるのは間違いないのですが、今回私がお伝えしようとしているのはそれ以前のもっと大本の話です。
「学ぶ」ということがどういうことなのかがわかっていないまま、暗記することに偏り過ぎたやり方で苦痛の中で学習を強いられてしまっている生徒が実際にはとても多いと思います。
この状況を変えることは、実は生徒自身の未来に向けて、勉強という事を越えた大きなメリットがあります。
それは「自分の頭で考える」ということの威力を早いうちに実感できると、思考の柔軟性やピンチに強いメンタル、硬直した人生観などからの脱却など、人がおよそ長い人生を生きていくために、自分自身が楽になり、かつ文字通り楽しくなるためのメソッドをそこで手に入れることができてしまうからです。
学び方は教えてもらえない
ここで1つ大変重要なポイントがあります。
それは「学ぶ力」は育っていくものであって、誰かに与えられるものではないということです。
学び方は教えてもらえそうで、実は自分自身の気づきがないうちは決して身につかない能力だと言えます。そしてそれ自体を教えてもらえる機会というのは少ないのです。
たとえば大人の方は学校での学習を思い出してみてください。
「あの時のあの先生の話から英語がおもしろくなった」
「あの先生の理科の授業抜群に楽しかったな」
というような記憶があるはずです。
昨今では
「塾の英語の授業で英語の先生になることにした」
「学校で数学がボロボロだったけど塾の〇〇先生の話を聞いたら全然別の数学でおもしろくて人生変わった」
なんていうような話もありますね。
これを聞くと学び方を教わったかにも感じるかもしれませんが、
実は「学び」の多くは人との出会いの中で、新しい自分にはわからない「学びの文化」を誰かが吹き込んでくれたというような体験と、その価値が結びついていることが多いのです。
それは逆に言うと教育と言うものがほんの一瞬、それこそ袖すり合う瞬間程度の短い時間でも、人の一生に影響を与えることがあるという素晴らしい面を表していることでもあり、逆に人の一生に暗い影を与えかねないものでもあるということになるかと思います。
人との間で物事を知る人生体験と学びは強く結びつきがあります。そしてそれには自分の「気づき」こそが最重要要素となっているのです。
この部分は今後もAIなどによって「気づき」が助長されるというようなことはまだ少ないのではないかと思います。その部分には人対人の要素がやはり大きな気がします。
だから私たちはこれを強く意識して、さまざまな新しい、生徒が知らない勉強の合理的なやり方を見せてあげたり、あるいは最新の科学情報を話して興味を持ってもらったりすることで、学びへの気づきをより多く指導の際にも体験してもらうようにしています。
そういう観点から言うと、たとえば中1の英語の学習にわくわくしている生徒に「1単語ごと順に20回、20単語分書いてくる」などという超不合理な課題を出す先生を見ると大変落胆をしてしまいます。
そんなやり方では単語は(多くの生徒が)覚えられない上に、何よりも生徒に「勉強は量であり作業である」という勘違いを植え付けてしまうに決まっているからです。
何が大切なのか
結論のような話になりますが、学びについて敏感になるということが実は最も大切なことなのではないかと私はいつも思っています。
自分自身勉強ということではほとんど「苦しんだ」という経験はありません。これは決して自慢をしているわけではなく、勉強をすることが実に楽しいと子ども時代から今にいたるまでずっと感じているからです。
そして勉強が嫌いだったという方とお話をするたびに感じるのは、そういう方は勉強が自分がのびのびと工夫をして楽しめる土俵であるということに残念ながら気づく機会がなかったのではないかという疑問です。
それは上記のように、学びについての感覚を持っていたかどうかとの違いなのではないかと思います。
「どうしたらもっと面白くなるか」
「どうしたらもっとたくさん頭に入れられるか」
「どうしたらもっともっと世界の秘密や知らないこととアクセスできるのか」
そんなことばかり考えていたら自然と学び方へのアンテナが張られてきます。
そういう情報は実はいたるところにあります。
私はそういう情報をたくさん得て勉強と言う楽しい大きな海に船を出すことができました。
だからこそ今度は学ぼうとする人すべてにその最高に勉強が面白くなる情報を伝えたいのです。
私はかねてから思っているのですが、学ぶ力をつけるためには、一旦は良い成績を出すために勉強をするという目的を達成するためにだけ勉強をするという頭をきっぱりと捨てるといいかも知れません。
今実際に自分がやっている勉強を
「生まれて初めてやってみた」
としたら、おそらくすべての人が
「何だ!この面白いことは!」
と感じるはずなんです。
もしあなたがそう感じないとしたら、実際にもうだいぶ色眼鏡をかけて勉強を見てしまっている可能性があります。
思いたったらいつからでもこんなものは軌道修正できます。マイナスイメージを変えることだって色々方法はあるのです。
そのためにも、ぜひ学びということに、一度落ち着いて目を向けてみてください。
きっとあなたの周りで世界はゆっくりと変わっていくことでしょう。

