【個人の尊厳】どこへ行ったの?基本的人権

人権の話は、なぜされなくなったのか?  昨今の一連の騒動で メディアの報道などや政治家の人たちから 口に上ることが極めて少なくなった言葉があります。 それは「人権」という言葉です。  今回の新型ウィルス問題については 色々な考え方の方がいるかと思います。  しかしどのような立場に立つにしても わが国では、基本的人権が憲法により保障されている... (続きを読む)

【情報格差】今や全く違っているかもしれない。隣の人とあなたの「見ている世界」

どこから情報を得るか?  世界にある情報は本来 どのような媒体を通してそれを得ても 同じような物事に関するものであれば 最終的には同じような内容になるはずです。  ホッキョクグマがある情報媒体だと空を飛び ある情報媒体だと地面を潜る生き物であったりするはずがないからです。  ところが現代においては 情報を取得する媒体によって 残念なが... (続きを読む)

【同調圧力】「正論を言えない」コミュニティーの掟に追いつめられる日本人

自分の主張を殺す日本人  昨今の一連の社会的な騒動を見ていて 日本人の同調圧力というものが これほど悪く作用したのは 第二次大戦以来であると感じています。  「同調圧力」と言うのは、 地域や職場・学校などの部分社会において合意が形成されるときに、少数意見を持つ者に、暗黙のうちに多数派に意見を合わせるように誘導する目に見えない力のことですが、  実は問題... (続きを読む)

【消極的な嘘】「伝えられない重要情報」に気づく方法とは?

嘘はどうやって伝えられるか  今も昔も、私たち一般の庶民は 情報を十分に獲得できないために 様々な不利益を被ることがありました。  たとえば第二次大戦時の情報統制下では、 「負けている」というもっとも重要な事実が隠されました そのために世論が正しい方向を見失い、誰も戦争を早期に終了させられませんでした。  もっと早く正しい情報が周知され、議論がき... (続きを読む)

【次善の策】民主主義を盲信してはいけません。「悪法は法にあらず」

法治国家と法の支配の違い  よく人は「日本は『法治国家』だから、みんなで決めた法律は守りましょう」 という事を言いますが これは一面正しくも ある面では正しくない内容を含んでいます。 「法治国家」というのは元々ドイツ法学系の言葉であり、「人治国家」の反対語で 国家における決定や判断は、すべて法によって行われるべきであるという考え方です。 言い換え... (続きを読む)

【選挙独裁制への移行】必ず「国民の安全を守る」というスローガンで独裁は始まる

世界で一番多い選挙独裁制  イギリスのエコノミスト誌が、世界各国を対象に毎年発表している民主主義指数というものがあります。 各国の政治の民主主義のレベルを「選挙過程と多元性」「政府機能」「政治参加」「政治文化」「人権擁護」などの面から評価するもので 「完全な民主主義」「欠陥のある民主主義」「混合政治体制」「独裁政治体制」に各国を分けています。  日本は2020年度... (続きを読む)

【人を窮地に追い込むもの】漢の劉邦と徳川家康が天下を取れた本当の理由とは?

どう考えても項羽の勝ちは約束されていた。  項羽と劉邦の話は大変有名な話で、ご存じの方も多いかと思います。 項羽は、漢の国を創設した劉邦と天下を争って敗れた楚の武将です。  彼は最初、始皇帝で有名な秦を滅ぼすための軍を率いて一勢力を築いた叔父の項梁の勢力を引き継ぎ西楚の覇王を名乗りました。  そして次第に勢力を拡大していきます。圧倒的な軍事力を持ち一時は天下を支配... (続きを読む)

【素人の聞き手に何を伝えたいの?】「首長(しゅちょう・くびちょう)」「遺言(ゆいごん・いごん)」

 首長は「しゅちょう」では?  私たちは日々、生徒に漢字の読み書きなども教えています。 中には読み方が難しい熟語もあります。 「出納」を「すいとう」と読んだり 以前お伝えした「熟字訓」などはその典型で だからこそ「漢字は面白いな」と思ったりします。  でもなかなか 完璧に読み書きをできるという事は難しいです。 さらに、漢字は奥が深いものです。 ... (続きを読む)

【項羽と劉邦】不公平が為政者にもたらすもの

 項羽:漢の国を創設した劉邦と天下を争って敗れた楚の武将。  始皇帝で有名な秦を滅ぼすための軍を率いて大きな勢力を作り西楚の覇王を名乗った。軍事的には圧倒的に有利であったにもかかわらず、最終的には劉邦の漢に敗れてしまう。最期の時に述べられた「四面楚歌」の言葉は、現在も周囲が敵ばかりで助けがないことを表す言葉として使われている。  対照的な項羽と劉邦  「項羽と劉邦」の話... (続きを読む)

【宦官趙高】昔も今も裸の王様を操る影の権力者が存在する?

稀代の悪宦官趙高  秦の始皇帝と言えばおそらく知らない人はあまりいないと思いますが、始皇帝が亡くなったときに起こった政変のことはご存じない方もいるかと思います。  始皇帝亡き後、丞相であった李斯(りし)は宦官(かんがん)である趙高(ちょうこう)の謀略に乗せられ、始皇帝の長男扶蘇(ふそ)を亡き者にしてしまいます。  扶蘇は優秀な跡継ぎで、秦帝国を築き上げた功労者である名将... (続きを読む)