あなたの見ている赤は「本当の赤」ですか?
ネコは時々天井を見上げて何かを見つめていることがあります。
私はネコを2匹飼っていますが、
そんな時は、
「何か私には見えないものを見ているのかな」
と思ったりします。
ロンドン大学の生物学者の研究によると、ネコは人間には見えない紫外線を見ることができるそうです。
逆に赤やグレーなどの色はよく見えないという研究もあります。
ネコは身の回りにいつもいて暮らしているのに、実は見えている世界が違うようです。
というよりも、
世界は生き物によってそれぞれ違って見えると言ってもいいでしょう。
私たちはネコになることはないので、
たとえ科学が発展してネコの目で見た世界をバーチャルで見れるようになっても、
それが本当にネコの見ている世界なのかどうかはわかりません。
世界はそれぞれの意識の中に存在する
人は、自分の見ている世界は自分の隣にいる人と全く同じだと信じ切って生きています。
でも、はたしてそれは真実でしょうか?
あなたが見ている赤いリンゴを
あなたも隣の人も、「赤いリンゴ」と言っています。
でも隣の人の言う「赤」は
あなたが「青」と呼んでいる色かもしれませんよ。
あなたは絶対に隣の人の目で世界を見ることはできないから、
あなたが「青」と思っている色が、隣の人には見えていて
それを隣の人が「赤」と呼んでいることだってあり得るのです。
コンピューターやスマホはデータを共有できますが、残念ながら人と人の意識自体は共有ができません。
だから、世界はそれぞれの意識の中にしか存在しないと言ってよいかも知れません。
もし自分が死んでしまったら、自分にとっての世界は、少なくとも自分の目で客観的には見ることができなくなります。
他人にとっての世界は変わりなく存在しますが、それは自分にとっては自分の世界(現世)ではないからです。
世界を構築しているのは紛れもなく自分
これは単に視覚の問題ですが、
それ以外のことでも同じかも知れません。
ある物事があった時に、
それをどうとらえるかは人によって全く異なります。
それをどう判断するかで世界は全く違ったものになってしまいます。
有名な話ですが、
ある国に、靴を売る2人のセールスマンが派遣されました。
リサーチをしたら、その国には靴を履く習慣がないことが分かりました。
裸足の国だったんです。
Aさんは大喜びして
「裸足の国なんで、誰もまだ靴をはいていません。靴はたくさん売れるはずです」「たくさん見本を送ってください」
と言います。
一方Bさんはショックを受け、
「裸足の国なんで、靴をみんな履きません。靴を売るのは無理です」「隣の国へ移動します」
と言います。
2人とも全く同じ物事を見ているはずなのに、
2人が見ている世界は全く違うことに気がつきましたか?
世界は客観的に存在すると私たちは思っていますが、
本当は主観の中にしか存在していないのかも知れません。
世界を構築しているのは紛れもなく、私たちの考え方や物の見方なんだと思います。
だとしたらどうでしょうか
考え方を変えれば
一瞬であなたの見ている世界を別の世界に変えることができるのではありませんか。
ネガティブに物事を考えて、心配の中で暮らせば、
ひょっとしたら世界は恐怖に満ちた場所になってしまうかも知れません。
でも、前向きに物事をとらえて、いつも先に希望を持って暮らせば、
世界は明るく夢のある場所になるのです。
そしてここで重要なことは、
すべてはあなたの考え方であって他人は関係がないということです。
たとえば、一生懸命に走ったけれどもマラソン大会でビリになってしまったとします。
この事実を
「自分にはマラソンの才能はないということを知ることができた。良かったな」
と思ったっていいんです。
考え方には制約はありません。
だとしたら、自分の未来に役立つ建設的な物事の見方をしてみませんか。
感情の処理には少し手こずるかも知れませんが、
考え方を変えて自分が楽しく過ごしていけるメリットと比べたら大したことはありません。
世の多くの人はこの逆を生きている気がします。
誰よりも優秀であるのに、常に何かを心配している人
他人のことばかり気になって、安心することがない人
みんなに好かれる明るいキャラクターであるのに、自分には能力がないと思って劣等感を持っている人
そんな人は、自分の良い所に自信を持っていいんです。
自分に足りないところばかり見ていると、この世界はいつまでたっても、
あなたが満足できない世界のままなのかも知れません。
努力は大切ですが、何もかもできる人間はいません。
たふんこの世界は、わざとそういう風にできていて、
その中で私たちがどう自分の世界を素晴らしい世界と考えて構築していけるのかが試されているのではないでしょうか。
今後も皆さんのお役に立つ考えをアップしていきます。