難易度の高い問題ばかりやっている生徒
生徒が学校の課題などをやっているときに様子を見ていると、生徒が難易度の高い問題を前に四苦八苦して解いているのを見かけます。
大体の場合、そういう生徒は解答書があっても決して見ることはしません。
そのために非常に時間のロスが生じます。
その前の易しい問題が半分くらいしか正答していないのに、後半にあるそういう難しい問題をやっている状況です。
例を挙げると、基本中の基本である一次関数で2点間を通る直線の式を計算で出すことができないのに、三角形の面積と一次関数(三関図)の応用問題を一生懸命やっている状態です。
言い方は悪いですが、はっきり言って完全に「時間の無駄」です。
物事には順番があります。
基本がしっかりできるようになってから、だんだんに応用に移っていくべきです。
どうしてこのようなことになるかと言えば、自分ができる問題というものが何かという事を全く意識しないで学習をしているからです。
時間を無駄にしてしまうことの意味
学習というものはやることの幅を広げていくと、きりなく広がっていくものです。
たとえば、中3で習う円周角という単元があります。
基本的な問題は、「円周角は中心角の2分の1の大きさである」ということが分かれば解けますが、これに少し応用を加えて、「半径の長さが等しいこと」「弧の長さの長短」「接線と半径」「円に内接する四角形の原理」「接弦定理」などを組み合わせていくと、無限に難しい問題を作ることができます。
以前聞いた話ですが、中学校での問題でも難易度を高くしたものの中には大学の数学科の先生が時間をかけても解けないような問題もあるそうです。
高校受験でもある私立高校で難易度の高い円周角の問題が出題されて、塾の数学の先生が総動員で解いてみたが1時間かけても解けなかったというような逸話もあります。
私も円周角の難問については、これまで非常にたくさん解いてきましたが、普通の中学生では「天才でないとこれは解けないだろう」と思ったものもあります。
それくらい難易度というものは出題者がレベルを変えようと思えば変えられるものです。
だから誰もがすべての問題を解けるというのは幻想なのです。
生徒が難易度の高いものをやみくもにやっていくことの一番のデメリットは、時間のロスにあります。
与えられている時間が有限であるのに、自分が一番やらなくてはいけないよく出題される基本問題をおそろかにして、逆に出るかどうかもはっきりしない、そして出ても他の生徒もおそらくできない難易度の高い問題を一生懸命やるのはまさに時間の無駄です。
これは、時間をかけたことに対する見返りが極めて少ない学習になってしまうということです。
重要なことを見極める力
学習について要領よくやっている生徒も、もちろん難易度の高い問題で苦しむ場合もありますが、見ていると解答書を早い段階で読み、そしてその上でわからないところを質問してきたりします。
「これは少し難易度が高いからまたでいいよ」というようなアドバイスをすると、間違いなく、すばやく他の問題に移っていきます。
反対に冒頭で話した難易度の高い問題で四苦八苦している生徒の中には、その問題に入れ込みすぎてしまって、本当にそこから離れられなくなってしまう生徒がいます。
強制的にやめさせて、できない基本問題に移らせようとすると「もしこれが出題されたらどうしますか」と聞いてきたりします。
そういう時は「できなくていい」と伝え、基本問題を見せて「じゃあこちらが出題されたらどうするの?」と聞き返しますが
何か漠然としたテストへの不安から、学習計画を自分で混乱させてしまっていたりすることがあるようです。
自分が難易度の高い問題を解けないということが悔しかったりする主観がおそらくそうさせてしまうのでしょうが
階段を一度に上の方に飛び越えていけないように、一段一段上るという気持ちは学習を進めていく上ではとても重要です。
また重要度を見極める力は、先々の学習においても大切になると思います。
今の学校の副教材はたいていよくできていて、基本から応用へと順にならんでいて、しかも難易度の高い問題には「チャレンジ問題」などと銘打ってあります。
だから生徒自身でも、落ち着いて考えれば、どこが基本なのかはわかる仕組みになっています。
ですから基本を重視して、難易度の高い問題は余裕が出てき時にまさに「チャレンジ」するという形にすることをお勧めします。
実際バランス感覚を欠いた先生でない限り、1つのテストで難易度の高い問題は、出題しても大問で1問か2問くらいです。
そのために他に時間を割かずに勉強をする意味は小さいと思います。
また基本ができていなければ、そもそもその問題もできるはずがありませんね。
今後も皆さんのお役にたつ情報をアップしてまいります。