固定観念
私たちは、普段いろいろな固定観念を持って暮らしています。
昔であれば「太陽は地球を回っている」という天動説や
最近であれば「地球温暖化で海面が上昇して都市が水没する」というような
巷間の説を何となく信じて暮らしています。
その背景には、よく吟味せずに誤った情報を流布するメディアの活動もありますが
何よりも「それは本当だろうか」と一から考えて見ると言う習慣がないことが
大きな原因となっているかも知れません。
進化論への疑問
たとえば、有名なダーウィンの進化論については
これまで学校でもメディアでも、間違いのない真実のように扱われてきました。
しかし、最近こんな疑問が挙げられていることを知りました。
「もし進化論が本当でサルが人間に進化したのなら、どうしてサルから人間になりかかっている生き物(中間種)が出現していないの?」
一気にサルが人間になるわけではないので、進化の途中である少しサルから人間的になった生き物やかなり人間的になった生き物とかがいないとおかしいということです。
学術的に詳しいことまではわかりませんが
これを知った時、私は目からうろこが落ちた気がしました。
「考える」というのは、正にこういうことを言うのだと思います。
あたりまえと思われていることに対しても「本当だろうか」という疑問を持ち、
他人に言われるのでなく自分の頭脳で合理性を判断することが重要です。
疑わない民族性
実際アメリカの世論調査機関の調査では、
宗教の関係もありますが、33%の人々は進化論に否定的だそうです。
別の調査では48%という数字さえあります。
また最近では、DNAの調査により生物が遺伝子的には、ほとんど進化をしていないという結果も報告されていて、科学的にも進化論の見直しが始まっています。
これに対して実感ではありますが、我が国で調査をすればおそらく進化論が誤っていると考える人は、ごく少数ではないかと思われます。
それは私たちが科学的な思考をしているということもあるのでしょうが、科学的と言うのであれば前述のような「中間種」への疑問が多く登場しても良いはずです。
しかし、そういう傾向があるようにも思われません。
進化論はすでに先決事項として、これを当然の前提で、あらゆることが考えられているように思われます。
これを疑うこと自体がもうタブー化していると言っても良いかもしれません。
似たようなものとして、ビッグバンがあります。
ビッグバンとは、宇宙は極めて高温高密度の状態から、次第にそれが大きく膨張していっており、宇宙の最初は爆発的な膨張が起こりスタートしたとされる考え方です。
普通に考えれば、「無から有が生じる」ビッグバンについては「おや?」と思うのが当然ですが
多くの人は、「そういうことなんだね」という感じで簡単に受け入れてしまっているようです。
まあ、それが真実かどうか知りようがないということもあるとは思いますが、
疑いを持って検証するということが薄いという事については、一度考え直してみる必要があるかも知れません。
通説であっても絶対的な真実ではない。
仮に誰かが都合の良い説を勝手に作り上げて、それを皆が信じるというような事があれば、いくら科学的と言っても、真実は藪の中に隠されてしまいます。
進化論もビッグバンも、あくまで現在の時点の通説でしかありません。
当然科学的に正しくない可能性はあるはずです。
反対説が出てくれば、それについて考えることは当然です。
ところがこういう定説のように思われていることに対して、疑問を挟むことはおろか
その考え方については、仕組みや理由を考えること自体放棄している人がほとんどのような気がするのは残念です。
通説=真実ではありません。定説化していてもそれは同じです。
「三角形の内角の和は180度」というのは、目の前で確認できてしまうため、たぶん疑いがない真実かもしれませんが
「人類はサルから進化した」というのは、疑いのない真実と断言するほどまでには根拠が薄いと言わなくてはなりません。誰も実際には目で見たことがない事柄だからです。
そのことをもう一度深く考えてみてはいかがでしょうか?
あたりまえと思われることも、自分の頭で考えて疑ってみるという姿勢は普段の思考習慣から生じるものだと思います。
普段から「なぜ」という発想をできるようにしていきたいですね。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。