【万葉集と言霊(ことだま)】「大和の国は 言霊の 助くる国ぞ 真幸く…」思いはきっと実現する。

「磯城島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ 真幸くありこそ」

万葉集の中に、こんな歌があります。

「磯城島(しきしま)の 大和(やまと)の国は 言霊(ことだま)の 助くる国ぞ 真幸く(まさきく)ありこそ」

 万葉集巻13 3254番 柿本人麻呂歌集にある歌(作者は不詳?人麻呂?)

 原文 「志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具」 

「大和の国は 言霊の助け給う国です。どうぞご無事でいらしてください」という意味です。「磯城島(しきしま)の」は「大和」にかかる枕詞です。

 この歌は言霊(ことだま)思想を詠んだ歌と言われています。「真幸くありこそ」という言葉を発することによって、実際にもそうなることを期待して詠まれたものです。

この頃から私たち日本人は、「言葉に出して言えばきっと叶う=言霊の力」を、信じていたのだと言われています。

今回はこの言霊について深堀りしてみたいと思います。

言霊(ことだま)

 最近は色々なところで言霊(ことだま)という言葉を目にすることが多くなったのではないでしょうか。そのためよくご存じの方も見えると思います。

言霊(ことだま)というのは、言葉には霊力(人間の通常の理解を超えた力)があるという考え方を元にした、発する言葉の通りに現実を動かす力のことを言います。

 一見「何それ?超能力?」と思われる方もいるかも知れませんが、実はこれは最近流行のスピリチュアルから起こった言葉ではなく、実は日本古来の習俗に深く根差した、わたしたちの文化にも大きく関わっている言葉です。

 たとえば現代でも、結婚式で「切れる」「割れる」といった言葉は、忌み言葉と言われて使うのを避けますが、これは言霊の考え方から来ているものです。

また、受験生に対して「落ちる」「すべる」といった言葉を使わないようにもしますよね。これも言霊の力を恐れてそうしていると言えるでしょう。

 また「そんなこと口にするなよ。縁起でもない」などど言う言葉を誰もが耳にしたことがあるかと思いますが、これなどはまさに言霊の力を恐れるために言われる言葉ではないかと思います。

 このように日常でも言霊にかかわりのあることが特に日本人には多いのではないかと思います。

示し申す場所

 私たちの身近にあるのが神社ですが、何かの事あるごと神社で祝詞(のりと)や祓詞(はらえことば)を奏上してもらったりしますね。

よく注意してこれを聞いていると、末尾に多くの場合「白すこと(もうすこと)を聞し召せと(きこしめせと)」「畏み畏み(かしこみかしこみ)も白す(もうす)」というような言葉が使われているのに気づきます。

これは「申し上げることをお聞きくださりたく、謹んで申し上げます」というような意味になると思いますが、「申し上げる」ということが重要な表現になっています。

白す(まおす=もうす)は古語で、申し上げるという意味。

つまりこれらはすべて「声に出して言う」ということがベースになっているのです。

 これは言霊の考え方から来ているのではないかと思われます。言葉に出して、「こうなりました。ありがとうございます」と伝えるのが良いという発想が表れています。

 ちなみに、神社には「お願い」をするのではなく、「すでにうまくいっている(未来のことでもOK)ことの感謝」を申し上げに行くと良いそうです。なかなか願いがかなわない人は一度やってみることをお勧めします。

ただ、もちろん神社では、宮司さんがお祈りの際に代表して言葉に出して言ってくれるので、一人一人がそれぞれお参りの際に口に出して言うべき必要はありません(たぶんそういう仕組みです)

 そしてここでお気づきでしょうか?

「神社」の「神」という文字は「示す」と「申す」の文字の組み合わせでできています。つまり「『言霊』の力で『示し申し上げる』場所」という意味があるのだと考えられます。

言霊と言葉、そして潜在意識

 これらの他にも言霊にかかわりのある文化はたくさんあると思いますが、たとえば古代日本の神秘的な言語である「カタカムナ」なども言霊の力に関係があるのではないかとされ、多くの人が研究をするようになっています。

興味のある方は検索してみると良いですよ。

 言霊が望む現実を引き寄せるということは、最近よく言われている「引き寄せの法則」だけではなく、脳科学的にもおそらく合理性のあることであったのではないかと思います。

実際にポジティブ(積極的)なワードを繰り返しているとよい事が起こり易いというのは、すでに科学的にも根拠があると言われ始めています。

 言葉を発する時には、その言葉に最も影響を受けやすいのは、それを発する本人であると言われています。これは当然のことで、一番身近に言葉を聞いているのが自分だからです。

そして特にそれを繰り返して言っている場合には、人の潜在意識にその影響が深く浸透するのは想像に難くありません。

 だから言霊に力があるというのは、古来から人々が「何となくそんな気がする」ということで、むしろ科学万能主義ではない古代には強く信じられていたのでしょう。

もちろん科学万能主義である現代でも、言霊の力は現に存在するに違いないと、私などは信じていますが・・・

 文化的な面で考えていくと、万葉集の時代に人々が思っていたような、言霊を大事にする生き方は、おそらく自然や他人を大切に思って生きるという感性の下での日本人の美しい生き方なのではないかと思います。

その背景において「人間の力を超えた大きな畏敬すべき力があることを忘れず謙虚に生きる」ということが前提にあると考えられるからです。

「ボタン一つ押せば何でも出てくる現代になっても、実は自分の明日の運命すら何も変えることはできない。なんて無力なんだ」

そんな風に暗く考えるよりも、

「自分の思った通りに世界は変わっていく。ああ感謝だな」と思って暮らす方が、良い事はたくさん起こるに違いありません。

何事も考え方次第です。思えばきっと良い事はおこります。

「生かされている」という視点から考えると、言霊には高い合理性があると思うのです。

今後も皆さんのお役にたつ情報や考え方をお伝えしていきます。

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