【量子脳と意識/仮想現実空間】「意識を失った状態を人が体験できないこと」から導かれる驚愕の推論とは?

意識のある場所

 人の意識については最も身近なものでありながら、その正体についてはずっと謎のままとされてきました。しかし今や科学者たちでさえ、意識は物理的な脳の中にあるのではない可能性があるという主張をし始めています。

これはいわゆる量子物理学における量子脳理論というものです。こちらの記事を参考にしてください。

さらに最近では量子力学と世界の仕組みを解明する流れの界隈で、人の意識は量子的なゼロポイントフィールド(脳の外)にあるという話が各所でされています。

実際には量子力学上の考えとしてダイレクトにそれが主張されているわけではありません。ただそのような量子的な場(ゼロポイントフィールド)の話も大変興味深いです。機会があればまたこれについても書いてみたいと思っています。

意識がどこにあろうと日々を生きていく上で何も違いはないのかも知れませんが、「私たちの存在が一体何なのか」を考える上では、これはとても大きな違いを生むことになるでしょう。

 今回の話は意識が物理的に人の肉体の中には存在しないという前提に立ってのみ考えられる話になります。だから「肉体の外に意識があるはずないじゃないか」と思われる方はここで読まれるのをストップしていただいてもかまいません。

これからお伝えするのは、論理的な思考を元にした1つの推論になりますが、その論理がそもそも人の肉体と意識が乖離することがありうる可能性(これは量子脳理論の中で言われていることですが、実際の多くはその一部についてであるようです)を前提としているためです。

気を失った状態を体験できない

 次の事例を考えてみてください。

ある人が何かのショックで一時的に気を失いました。

そして6時間後に目を覚ましました。

幸い一時的なショックによるものでその後も異常は認められず健康を回復したとします。

この人、仮に田中さんとします。田中さんは果たして意識を失っていたという事実をどうやって知るのでしょうか。

 まず普通は誰か周りの人が「大変だ!気を失った」と言って病院とかに連れて行ってくれるので

「そうか、自分は6時間意識がなかったのか」

田中さんはそう気づくことができますが、自分自身の意識としては、

突然意識が消えた→次の瞬間には意識が戻って周りを見ている

ということになっています。

 私たちのイメージでは意識を失うと真っ黒な映像が脳裏に浮かび、あたかも暗黒の時間を自分が体験しているような気がしますが、物理的な人体現象から切り離して意識自体から考えてみると実はそうではないのです。

だから誤解を恐れずに言うと「人は気を失った状態を(意識的には)体験できない」のです。

眠ることと意識の関係

 同じような現象として眠るという行為があります。

眠るときには基本的に意識はありません。

眠る→次の瞬間に目が覚める

意識としてはそういう流れになっています。寝ている間の暗黒はありません。

ただ眠る場合には「夢を見る」ということもあり、少し問題があります。

夢を、私たちが常時見ている意識と同じ平面でとらえれば、眠るときにも一部意識的になっているとも言えるでしょう。そういう見方をするとこの場合は意識は夢見る状態で継続しているという解釈もできるかもしれません。

そうではなく、あくまで夢は意識とは別の平面のものととらえれば、眠るときに夢をみても意識としての継続に関しては、夢を見ていても、意識としてはそこはショートカットしているともみることができます。

これについては夢の研究者でない私が夢と意識の関係について結論の出しようがありませんので、ここでは仮に、「熟睡して寝たらもう朝だった」というような事例を頭に描いてこの話をお読みください。

 前例の気を失う場合と同様この場合も、人は意識がない状態を自身では体験できないので、本人側から考えると、意識は連続しています。

つまり眠る→次の瞬間目が覚めていて、自分が寝ていたという事実は時計や周りの様子によってそう気づくだけであるということになります。

意識の連続が示すこと

 このような形で考えてみると、基本的に人が生まれてから死ぬまでずっと「意識は継続している」ということが言えます。

私たちは「寝ていたり気を失っているときには意識はない」というイメージを漠然と持っていますが、それは第三者から見てのイメージによるもので、その人本人にとっての意識としては全く途切れることがありません

だからあなたも私も、生まれてから意識が途切れた瞬間は今までに一度もないということになります。

 これは私たちのイメージからすると大変違和感のあることですが、意識についてこれを「世界が映っているスクリーン」のようなものであると考えるとわかりやすくなるかもしれません。

私たちが見ている世界自体というか、世界自体が意識であるという考え方もできます。

なぜならば、あなたが物理的に目を開けて見ていないときには、あなた個人の立場からは世界(意識)は存在しないものであり、また、あなたが生まれたときに世界(意識)はあなたにとって存在し始めたものだからです。

このことから、導かれる結論は実は3つあります。

1 常識通り、世界(=意識)は個体である人体が見つめているスクリーンであり、その人が死んでしまってもその人とは別に存続する。ただその世界(=意識)は個体であったその人とはもはや何の関係もない。

世界(=意識)はあなたが生まれたときに始まった。そしてあなたが死んでしまえばすべて消滅する。これはデカルトが言った有名な言葉「われ思うゆえにわれあり」につながる考え方と言えます。そしてどんなに科学が進んでも、これを論理としては否定できません。

この考え方は知らない人の方が多いかも知れませんがアトラクション(引き寄せ)について探求している人にはかなり有名な考え方です。

3さらに進んで、これが今回の推論による驚愕の仮説になるものですが、次のような考え方もできます。現にこの考え方を主張される方がすでにいます。

*ただし現代科学で論拠をもって主張されている学説というわけではありませんので、そこはご承知おきください。

 世界(=意識)はずっと存在している。それは個人の肉体とは関係なく永遠に存在する(一説にはゼロポイントフィールドにあると言われる)。そして意識こそが私たちの本体である。

物理的肉体が眠る、気を失う、死によって失われるという状態の場合には、個体側では意識と切り離されるが、目覚める、気がつく、生まれるという状態になれば、再び個体と意識が接続されるという考え方ですが、個体が人の本体とするのではなくむしろ世界(=意識)こそが自分であるとする点が他の推論と大きく違います。

この仮説からの帰結

 そして興味深いこの3番目の可能性を推し進めるとどういう帰結になるかというと・・・

人は死んでしまって意識が失われた次の瞬間、眠って目覚めるのと同じように、別の個体(つまり赤ちゃん)として目覚めるということになります。

よくいろいろな宗教で言われる、あの世に行って「神による審判」を受けたりすることはしないということになりますね。またあの世で天国や地獄にいて何万年も生まれ変わりを待ち続けるというようなこともないという話になりそうです。

純粋な事象を観察しての推論をして論理だけを展開していけばこのような可能性も否定できないでしょう。(もっともすべてはそもそも量子脳理論に立てばという話ですが・・・)

 肉体の外に意識がないという現代科学に依拠する立場なら(量子脳理論のような立場をそもそも取らない場合は)死ねば意識も肉体も同時に消滅するということになりますので、どれも全くお話にならないことになってしまうでしょうが・・・

 日本人の多くの人々がもつ死生観は「現在の」科学万能主義により、人間を物質に限定してとらえる唯物論的な発想に強く影響されていると言えるため、この話は「話にならない。考えるまでもない」と感じられる方も多いかと思います。

しかし「これからの」科学に基づく論理的発想というものも、思考実験として考えてみるのもいいのではないでしょうか。なぜならそれは圧倒的に面白く、しかも現実の可能性を感じる部分が多々あるからです。

だって「死ねばそれまで」って本当に実感としてそう思いますか?

私はあまりそういう実感は感じません。「何かあるに違いない」ということはずっと感じています。おそらく同じような感覚の方は多いのではないでしょうか。

仮想現実空間学説との高い整合性

 ところで実はこの3つ目の推論(仮説)の考え方は、この世界が仮想現実空間だととらえる考え方とも高い整合性を持つと私は考えています。

この世界が仮想現実空間である可能性についてはすでに多くの学者や知識人がそのことを主張していますが、仮にそうだとした場合、この世界は実にデジタルでコンピューター的(シミュレーション的)な場であることになります。

*世界が仮想現実空間かという事についてはこちらの記事に詳しく書いています。ご参照ください。

 たとえばこんな風に考えることもできます。

この世界自体が誰かによってシミュレートされたものであり、そのシステムを動かしているCPU(中央情報処理装置)にあたるものが意識である。

そしてそれはこの世界の万人に共通のシステムでありたった1つだけのもの(スピリチュアル的な場でよく言われるワンネスという発想とも整合的)である。

私たち個々人はその中で現実世界を体験するために遣わされた存在であり、アバター的な要素を持っており、それは他者と自者の区別のあるアイデンティティのある存在であるが、

一旦その人生を終了した場合には個別の記憶を消去されて新しい個体へそのアイデンティティの深い部分(潜在意識の底にある超意識とも呼べるもの)を移し替えて、再インストールがされる。

再インストールされた個体は再びCPUにあたる意識と接続され新しい人生が始まる。そこで再度物理的な世界の体験をしてメモリー(これが俗に言われるアカシックレコードではないかと思われる)へ記憶を残していく。

こんな感じの発想をすることができるでしょう。

荒唐無稽でしょうか。世界がコンピューター的な信号でできているとすればこういう話になるのはむしろきわめて論理的です。

科学とは何か

 哲学者でもあり科学者でもあったソクラテスは「無知の知」という言葉を残しています。

「私は、自分が何も知らないということを知っている」という意味の言葉ですが、科学とはもともとそういう土台から始まるものだと思います。

現代科学はあまりに進化してしまったために、人々はこれまでに科学として発見された原理や仕組みを絶対の法則と信じ込んでしまっている部分が非常に大きくなっている気がします。

その中で最初は「トンデモ理論」のような扱いを受けていた量子力学の研究が次第に新しい科学の主流となって従来のニュートン物理学やさまざまな従来の科学的常識を次々と覆すことになったのは偶然ではないように思います。

科学者というのは、研究によって得られた知識を人々に披露して素人に教えるポジションがその本体ではありません。理想かもしれませんが、科学者の方には人類のために有益なことを真剣に調べて世界の秘密について思考を進める存在であってほしいです。

現象があり推論はできるがどうしてもエビデンスが見つからない場合に、「これは間違っている理論だ」と象牙の塔の人々が判定をすることを安易に繰り返していれば、実際の現象をまず見て考えていく傾向の強い量子力学が大きく現代科学の常識を覆していったような事態は今後もさらに進んでいくことでしょう。

証拠がないこと=それが間違っている ではないからです。

特に「世界は本当はどんなものなのか?」というようなテーマについての場合、「証拠はあるの?」と言われれば大体において議論自体がそもそもできません。それでは科学は「守る一方」になりませんか。

科学者でもない経営者のイーロンマスク氏が、なぜこの世界について仮想現実空間の可能性が高いと公言されたのかを考えてみるべきです。本当に解明しなくてはいけない物事や人々にとって有益なことに果敢にチャレンジしないと科学者を目指す人は失望してしまいます。

現代科学を担う人たちは今一度大きく姿勢を変えることが望まれているのかも知れません。

皮肉にもこういう分野については量子力学者以外は哲学者やアトラクション(引き寄せ)を研究している人々によって最近非常に情報や理論の深化が進んでいるのもこのことを裏付けているといえるでしょう。

 願わくば少しでも多くの科学に携わる人たちが、一から物事を自由に考え推論して、世界の秘密を解き明かしていってほしいです。教育者の一人として切にそれを願います。

今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。

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