この世界は仮想現実?
これまで何回かこの世界が仮想現実かどうかについて記事を上げて来ました。
既に書いてきたようにシミュレーション仮説は今やかなり有力になっているようです。
量子力学の研究が進んできて、ミクロの世界で起こっている不可思議な現象から逆算して考えられている、このような話は
全く知らない人からすると「何をSFみたいなことを」と言う感覚かも知れませんが
これは何もおとぎ話や作り話の類ではなく、もはや純然たる科学的な話になっていると言えます。
興味のある方はこれらの記事をお読みください。
仮想現実だとすると当然生じる疑問
もしこのように仮想現実であるとした場合、私たちが当然抱くべき疑問があります。
当たり前の事ですが、
「ではその仮想現実空間を誰が創ったのか?」という事です。
これについては結論から言うと
「科学ではおそらくわからない」という事になるのではないかと思います。
もし解明ができるとすれば、その研究者(観察者)は、この仮想現実空間から外に出ることがどうしても必要になるからです。
それは端的に言えば、その人が死亡するということに他なりません。
だから生きている間に真実を知ることは不可能というのが唯物論的な結論です。
もちろんこれについては
「神が創った」「宇宙はワンネス」「併行世界を無限に複製している」など色んな説が乱立しています。
しかし誰も正誤を判定することはできません。
逆にだからこそ夢があって面白いのかも知れませんが・・・
わかることが1つある
しかしそんな中でわかることもあります。
仮想現実であるとすれば、文字通りシミュレーションのような世界、つまりゲームの中に置かれているアバターのような存在が私たちということになるかと思います。
だとすればどうでしょうか?
仮に仮想現実空間を出たときに私たちの存在が何らかの形であるとして(つまり生まれ変わり・輪廻転生があるとして)
その存在の立場から考えれば、
この世界が本当に「お金持ちになる」「大成功する」「有名人になる」というような目標だけのためのゲームなのかということです。
なぜそういうシミュレーションの中のアバターとして、ゲームの世界に入ったのかを想像すると
簡単に言えば「色んな体験をするため」に入っていったという事が言えるのではないかと推測されます。
だとすればこの世界に私たちがいるのは「良い結果を出すこと」が目的ではなく
「その過程の体験や経験」自体が実は目的なのではないかという考えに至りませんか?
そこでは、「良い結果」ももちろん良いのでしょうが、
「悪い結果」も、それを味わうのが1つのシミュレーションなのかも知れません。
いや、ゲームならば、そもそも本当に「悪い結果」ではなく、ただの「ゲーム上の出来事」という風にもとらえられるのかも知れないですね。
このことを突き詰めていくと、
私たちが何かを行うときに、最も大切なのはそれによって起こった結果ではなくて
その過程で「自分が何を考えて何を感じたか」そして「自分がどういう判断をしたのか」
そういう事の積み重ねが重要なのではないかと思います。
人生の意味は、「出来事や結果」の集積ではなく、その人の「考えた事」の集積なのではないかということが
実はこの仮想現実の考え方から論理的に導かれることだと言えるのではないでしょうか。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。