仮想現実
最近バーチャルリアリティーなどと言う言葉をよく聞くようになりました。
日本語で言えば仮想現実、作り物の世界です。
あたかもそこにその世界があるように見せかける技術で、今やその精密さは極めてレベルの高いものになっています。
フェイスブックが社名をメタに変更して、仮想空間の研究や普及に力を入れるようになったのも話題になりましたね。
仮想空間の技術は、すでに実社会でもたとえば建物の内覧をしたりする場合やらゲームやら色々な場面で使われています。医療の分野でも取り入れられていくようです。
でもこの世界自体が実は仮想現実だとしたら、あなたはどう思いますか?
二重スリット実験
有名な量子力学の実験で二重スリット実験というものがあります。
これは高校の物理学でも習うヤングの実験というものがあるのですが、そこで使う光の代わりに電子を使って「粒子と波動の二重性」を証明した実験です。
観察することによって、同じものが波動から粒子へと振る舞いを変えるということが証明されました。
二重スリットの実験は、「世界は、私たちが観察していない間はもやもやした形のないものだが、私たちが観察した瞬間に机、花瓶、ねこといった形のあるものになる」という、「この世界が仮想現実である」という考えにつながる大変衝撃的な実験です。
簡単に言うと、この世界がコンピューターゲームのようにシュミレートされていて、人間の知覚が働いている空間だけ現実が存在するのではないかという仮説をはっきり裏付けてしまう実験だと言えます。
最近はイーロン・マスクが、「世界が仮想現実ではないという可能性は極めて低い」旨の発言をしたりこれを後押しする「シミュレーション仮説」がかなり有力になってきています。
つまり世界が仮想現実であるという考え方は、おとぎ話ではなく現実の量子力学の世界からの帰結として、十分信憑性のある考え方になっていると言えます。
二重スリット実験の他にも「ビッグバン理論の不自然さ」や「量子もつれ」などもこの世界が仮想現実である裏付けになると言われていますが、これについてはいくつか記事を上げていますのでこちらをご参考にしてください。
もしそうなら…
事の真相は実際に見て確かめる方法はありません。
しかし推論結果から考えて
「もしそうならどういうことになるだろうか?」
そんな興味は湧きませんか?
青雲のこころざしでは、考えることの楽しさをいつも皆さんにお伝えしていますが
これなどは考える楽しさの最たるものです。ひとつやってみましょう。
まず、粒子が波でもあるということから、
私たちが見ている間はそこに世界が存在するが、見ていないところには物質が存在せず、
何か波のようなぼんやりした空間がゆらゆらと存在しているということになるかと思います。
わかりやすく言えば、シミュレーションゲームの中を想像されるといいかと思います。
主人公(プレーヤーのアバター)が道を行き山を登っていくと
その間だけそこに道や山が背景として登場しますが、その時その世界に想定としてある別の海や都会は画像として存在しません。
しかし主人公がそこへ行ったりするその瞬間に、その部分の画像も登場し存在することになるのです。
「そんなはずはない。世界中に人が暮らしているのではないか」
そう言われるかも知れませんが、世界の誰もが見ていない場所と言うのは相当たくさんあります。
もしゲームのような空間であるとすれば、そういう場所を常時存在させておくのはゲーム運営のためのエネルギーを浪費することになるので、消しておくのがベターでしょうね。
哲学者デカルトが述べた有名な言葉で「我思う、故に我あり」というものがあります。
自分が見ているものはすべて偽であると想定すれば、自分の記憶にあるようなものが存在しているという証拠もなく、また自分の感覚もあてにならないし、物体やその形や、運動しているもの、そして場所さえも幻影かもしれない。
しかし、どんなにそう疑っても絶対に疑えないものがある。それは自分自身がそういった物事を認識しているということである。
要約すればこういう事になるかと思いますが、
この考え方の中には、実は世界が仮想現実かもしれないことが表れています。
もちろんデカルトの趣旨は「思惟のみが実在する」という所にあり、別に仮想現実を言いたかったわけではないですが、彼の考えの延長線上には「世界が実在するかどうか不明」ということが確実にあると思います。
この世界で唯一信頼できるのは、「自分が考えているという事実」だけなのですから
それ以外は自然にできたものである場合もあれば、単にシミュレーションの世界なのかもしれないのです。
そもそも自然にできた世界があるに違いないと確信していることの方が、「なぜそう言えるの?」というものであることにも気づくのです。
地球は平面?仮想空間ならありかも?
もし仮に仮想現実説が真実だった場合には、更にどういうことになるかと言うと
そもそも作り物であるならば、「どこまで」創られているのかという話になります。
これを押し広げてもし宇宙を創造したのではなくて、地球と言う平面だけ創っているという考え方も成り立ちます。
これはいわゆるフラットアース(地球平面説)という考え方です。
この考え方は日本では本当に少数派ですが、世界ではかなり本気で研究をしている人が多い考え方です。
もちろんフラットアーサー(地球が平面だと信じる人)からの主張に過ぎませんが、平面であるという色々な証拠も実際にかなりの数存在していますので、興味がある人は検索してみてください。なかなかおもしろいですよ。
こういう話は、直接私たちの利害に関係のあるものではありません。だからこそ考える楽しさを味わうにはたいへん面白いテーマだと思います。
「そんなことは教科書には書いていない」
「そんなことはありえない」
そう言う前に一度考えてみると良いと思います。何しろ今や学者の多くが研究しているのです。メディアには決して登場しませんが、私は論理的な思考をされていると感じています。
もちろん真偽を判断するのは、あなた自身です。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。