情報格差
最近のインターネットやSNSの発展は著しく、今やほとんどの人が何らかの形でインターネットを利用しています。
しかし、その利用の程度は千差万別で
「ネットニュースをテレビニュースや新聞代わりに見る」「ゲームで使う」「連絡で使う」というような人から
「投資に使う」「ビジネスや取引に使う」「オウンドメディアとして使う」という人々
「世界の情勢を知るために使う」「最新の個人が発信する情報を集めるために利用する」「自分の情報発信のツールとして使う」という人達まで
いろんな関与の仕方があります。
そしてその結果として、ネット上にある情報への距離は個人ごと大きな差が出るようになっています。
これを巷では「情報格差」と呼び、メディアの表現を単にそのまま受け取ると
「メディアリテラシーをしっかり持っている人こそが、適正なステップを通して正しい情報を取得できる」といった文脈の中で言われるもののように感じられます。
しかし、現実はそんな単純な教科書的なものではなく、
これを軽視していると、身体や財産どころか生命まで危険を及ぼしかねないものになりつつあるように思われます。
正しい情報の獲得は、今や実戦的で緊急的な課題になっているのです。
というのは、悪意を持って情報弱者の利益を奪おうとしている者が、現実社会において日増しに増えているように感じるからです。
その言葉すら聞いたことがない
今回のタイトルにある「この世界は仮想現実?」「フラットアース?」「マッドフラッド?」というのは
ネットで情報を取得している人にとっては、今やごく当たり前に耳にしている言葉だと思います。
中でも「この世界は仮想現実」という話は、現実に世界の学者たち、特に量子力学の研究者たちから、十分ありうる理論だとされるようになっているものです。
しかし他方、これら3つのすべてについて初耳という方も多いのではないでしょうか?
「この世界は仮想現実」というのは、この世界がシミュレーションゲームのように仮想空間として作られたものであり、自然発生的に生じたものではないという考え方です。シミュレーション仮説と言われるのが有名なもので、多くの人々によって主張されています。
簡単に言うと宇宙はビッグバンによって発生したのではなく、誰かが作ったものであるという考え方になります。
地球上に生物が発生する確率は1040000分の1であり、プールにばらばらになった時計の部品を投げ込み、それが水流の力で偶然に再び完成するのと同じくらいの確率だと言われれば、このように考えるのはむしろ自然かも知れません。
「フラットアース」というのは、地球が球体ではなく平面であるという考え方で、「地球平面説」とも言われます。最初は冗談かのように言われて一笑に付されていた説ですが、近年本気で主張をする人々が多く表れています。
単純に宇宙からの地球の写真とかがあるためあり得ないという批判がある一方、高速道路を作る際に地球が球面であることによる角度の誤差を誰も設定していないことや、月が片面しか地球に見えなかったりすること、あるいは地球と太陽との距離と温度などの謎などから正しいとする主張も根強く行われています。
「マッドフラッド」というのは「泥の洪水」という意味で、今から200年ほど前に世界は核戦争のような世界戦争で滅びており、現在の人類の歴史はまだ誕生後200年くらいしか経っていないという考え方です。
もちろんこれも一笑に付す人々はたくさんいますが、実際に泥に埋まっていた建物が現実に多く発見されていて、古い写真の立派な建物が立ち並ぶ風景に人間がほとんど写っていないことなどがその論拠とされていたりします。
いずれも興味がある方は動画や詳しいサイトもたくさんありますので、ぜひ一度ご覧になってみてください。なかなか興味深いです。
事の真偽はともかく、これらはいずれもこれまでの私たちの固定概念を完全に覆すような新しい発想の考え方です。
そして、こういう新しい発想に触れるというのは、非常に意義のあることだと私は思います。
「本当はどうなっているのか」
それを柔軟に考えるだけでも、物事の発想を自分が新しく行っていくためにとても役立つのではないでしょうか。
もし「そんなはずはない。馬鹿じゃないの?」と言うような批判をする人がいたとしたら、
こういう反論はどうでしょうか。
「天動説に対抗して地動説を唱えたコペルニクスもきっと同じことを周囲に言われたはず。当時だれも本気で地動説など信じる人はいませんでした。いつの時代であっても、本当に正しい事は何かについて、その可能性をあれこれ考えるのが科学ではないのですか」
「そんなことはあるわけがない。学校で教えられていないから違う」というのは、すでに固定観念の枠の中にどっぷりと浸かり込んでいるという事に他ならないのです。
また写真や証拠となる物は、いくらでも捏造できます。
権威がある人が証拠を示しても「平気で嘘をつく人」がその人であれば、真実は霧の中に入ってしまいます。
マスメディアの度重なる捏造や誘導報道が、実はこれらの新しい議論の発端になっているのかも知れません。
本当のことは何かを判断する力は私にはありませんが、
ネットの発達によって、このように権威や固定概念にとらわれず一から考えを構築するという発想をする人がより多くなってきているということは、はっきり言えるかと思います。
情報格差による分断の危険
以上のように、WEB経由で伝えられる新しい情報については、
その言葉すら一度も聞いたことがないという人がいる一方で
それを前提にして、世界の仕組みを日々SNS上で話し合っている人々もいるというのが、今の情報社会の実際の姿だと言えます。
そして、これとは別に特定分野についてのみWEB情報に長けているという人もいます。
個人ではSNSのアカウントの取り方も知らないのに、仕事で使うトークンの設定や仮想通貨については非常に詳しいという人もいたりします。
そうなると各人それぞれが、お互いに話が通じ合わなくなるというのもうなずけます。
いわゆる人々の分断化というのは、こういう面から始まっているのかも知れません。
今回の疾病騒動もそんな社会背景が進みつつある中で、「情報格差」による分断化の危険が大きく広がった騒動でもありました。
「情報格差」が広がっている現在、お互いが関心を持つ共通事項というものも少なくなり、コミュニケーションを取るのにも一苦労になるというようなことも考えられます。
たとえば、こんな会話が想像できます。
「ねえ、今年の紅白見た?〇〇〇〇良かったよね?」
「いや見なかったな。誰それ?」
「知らないの?いつもTV出てるじゃない。CMもほらあのビールの・・・」
「ごめん、TVないんだ。見たことない」
「そもそも紅白ってなに?」
「・・・・」
「じゃあ最近何に興味持っているの?」
「マッドフラッドの動画かな。でも最近のバンで、いくつか見そびれちゃった」
「あなた何を喋っているの?」
「・・・・」
こんな感じでしょうか。今や興味の対象も多岐にわたってしまって、友達同士の交流も昔と違ってやりくくなりましたね。
でもだからと言って、ネット上の最新情報を集めればよいというわけではありません。
大切なのは、今の社会では「自分が知っている事」を相手が普通に知っているとは限らないということを知っておく必要があるということです。
そしてそういう各人の間に横たわる「情報格差」をうまく利用して、分断化を図っている人たちがいるということをよく頭に入れておく必要があります。
「陰謀論」という言葉が頻繁にメディアに登場するようになったのは、割と最近の話ですが
「陰謀論」と言うのは、真実を覆い隠すのには非常に都合の良い言葉であるようです。
この言葉によって、単に多くの情報を集めてそれを伝えようとする人たちも「陰謀論者」という名前で一括りにされるようになりました。
だから上記の例でも「マッドフラッド」の説明を詳しくしようとすれば、おそらく話の途中で
「なんだ陰謀論か」ということになり、
「私、陰謀論を広めるような人とは距離を置きたいの」
というようなことを言われるのがオチとなるわけです。
大切なのは、情報について考える際には
他人の考えをイメージだけでとらえるというのはとても危険であり
いつでも判断はあくまで「科学的思考」によるべきである ということです。
たとえ怪し気な話であっても理屈にあっていて合理的根拠があることであれば、話をしっかり聞くべきであり、逆にいくら権威がある人や有名人が自信満々で話していても、道理に合わないことであれば疑うべきです。
いま皆さんが自分の身を守って生きていくために必要とされるスタンスは、おそらくこれだと思います。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。