世界が仮想現実であるという仮説を考えてみることの価値とは?

 高校生を指導していると、物理でヤングの光の干渉性の実験というものを指導することがあります。光路差が光波の整数倍になるかどうかで明線・暗線を観察して考察するという問題でかなりポピュラーな問題です。

二重スリット実験

 実は、このジャンルにごく近接した内容のものとして、皆さんもご存知かもしれませんが、有名な量子力学の二重スリット実験があります。ヤングの実験の光の代わりに電子を使って粒子と波動の二重性を証明した実験です。観察することによって同じものが波動から粒子へと振る舞いを変えるということが証明されました。

 二重スリットの実験は、極端な表現をすると、世界は、私たちが観察していない間はもやもやした形のないものだが、私たちが観察した瞬間に机、花瓶、ねこといった形のあるものになる、というような、この世界が仮想現実であるという考えにさえつながる大変衝撃的な実験です。

 その当否はともかくとして、非常に近接した内容の実験である上に大変興味深い内容であるのにも関わらず、私の長い指導経験で、二重スリット実験について質問してきた生徒が実はいないのです。

 物理の勉強をしていてこれに興味が生じないわけはないのですが、やはり光路差や明線・暗線の計算方法が分かることが最優先になってしまうのでしょうか。

ビッグバンと仮想現実

  最近はイーロン・マスクが、世界が仮想現実ではないという可能性は極めて低い旨の発言をしたり、これを後押しするシミュレーション仮説なども再評価がされて、結構面白い分野でもあり、興味を持てば量子力学 への格好の入口になるのですが、残念なことです。

 話は変わりますが、宇宙の始まりについてビッグバン理論というものがあります。宇宙の始まりにはビッグバンという爆発があり、その後宇宙は膨張しているというもので、現在定説に近い考え方となっています。ご存知の方は多いと思います。

 この理論については、素朴に「ではその前は?」という疑問が生じます。これに対して量子論的なゆらぎから発生したといった、さらによくわからない説明がされます。

しかし、はっきり言って、「無から有は生じないはずでは?」となるのが普通ですね。

ところが、ビッグバンのことを生徒に説明すると、わりと「へぇーそうか」というような反応が多く、疑問を持たない生徒が結構いることに逆に驚いたりします。

 そして、そういう生徒に、誰かが世界を創った(仮想現実)の可能性はないかと聞くと、ほとんど「そんなはずない」という反応が返ってきます。

 これでいいのかなと思うのは大げさでしょうか?私などは、二重スリットもビックバンも未だに疑問だらけなのですが…。

疑問を持つ精神

 科学が進歩してきた一番の根本には、「不思議だな」「なぜ?」「それって正しいの?」「別の考えはないのだろうか」といった、興味や疑問を持つ精神があります。

 ただ提示された理論をそのまま受け入れてしまっていて、そこから広がりがなく、疑問も持たなくても、おそらく優秀な模倣者はたくさんできるのでしょう。

しかし、それでは未来を切り拓く科学者は生まれてこないような気がします。


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