【消極的な嘘】「伝えられない重要情報」に気づく方法とは?

嘘はどうやって伝えられるか

 今も昔も、私たち一般の庶民は

情報を十分に獲得できないために

様々な不利益を被ることがありました。

 たとえば第二次大戦時の情報統制下では、

「負けている」というもっとも重要な事実が隠されました

そのために世論が正しい方向を見失い、誰も戦争を早期に終了させられませんでした。

 もっと早く正しい情報が周知され、議論がきちんと出来ていれば

本土攻撃による敗戦までには至らなかったかも知れません。

 これは端的に言って、政府と報道機関が「嘘」をついていたのですが

正しい情報を流さず人々を上手く誘導する「嘘」をつくための方法は

いつの時代も

1⃣「オオカミ少年が来る」というような、人々の不安を煽って危険を強調する。

2⃣ 安全性に関する重要な事実を敢えて流さない。

この2つの方法で行われます。

危険を煽ることが誘導には一番効果があるからです。

 もちろん、これは現在のような高度に発展した社会においても、十分実効性のあるやり方です。

 最近皆さんは、「必要以上に危険を感じさせられる情報」を受け取った覚えはありませんか。

たくさんの情報があるのに、「なぜかそのことだけあまり見かけない」というような情報はありませんか。

「伝えられない情報」に気づく方法

 今も昔も、知らないうちにいろいろな事が起こっているのが、実際の世界です。

 特定の情報媒体に頼っていると、当然情報に偏りができます。

ここで注意するのは

「情報媒体というのはどういうものであるか」をしっかり把握することです。

 情報媒体を運営するには必ずお金がかかります。それも巨額になるのが普通です。

マスコミや新聞はもちろんですが、SNSであっても同じです。

だからそもそも自社の利益になる範囲内で、公正に情報を伝える機関であるということを考えておかないといけません。

 そう考えると

特定方向へ向けての情報誘導は程度差はあれ当然あり、かつ運営機関自体に不利益な情報は流さないと考えるのが自然です。

むしろ「そういう情報も公正のためには流すに違いない」と考える方が甘いと見ることさえできます。

 では私たちはどうすればいいのでしょうか。

「何か物足りないな」

 「情報の正しさを見抜くなんて、素人には到底無理」と思われるでしょうか?

しかし私たちが、「伝えられない情報」を見抜くのは

実はそんなに難しくはありません。

たとえば、

「危険ばかり訴えているのに、対比情報がないな」というような点に注意ができれば

実は簡単に「表に出てこない情報」に気づくことができます。

落ち着いて情報を読み取れば

「足りない情報」には気づくのです。

 今、Aという危険な事態が1000件起こっているとします。

これについて「恐ろしい危険がある」と伝えたとしても

昨年まで毎年30000件起こっていたとすれば、その危険は相対的には極めて軽微になります。

 たとえば、交通事故が100件あったという事実は

過去最高の事故件数にも過去最低の事故件数にもなりうる、比較対象によって評価が全く変わる事実です。

これを「事故が100件あったのは事実だからとにかく怖い」というのは感情論でしかなく、

情報の客観的価値を読み誤るものと言ってよいでしょう。

 このように対比情報は、情報の意味を正しく伝えるためにはとても重要なので、必須のものとされる場合が多いと思います。

報道では平素ごく自然に、図表などを用いて対比情報を示しています。

だからそれがないと、普通は「あれっ」と思うのです。

「何か物足りないな」という感じを受けるはずです。

そして対比情報が出ていないなら、それを自分で手に入れれば真実がわかります。

 ただ、対比情報については

それを別の媒体から取得することは、昔は事実上困難でした。

戦時中に、報道以外での情報と言えば「口コミ」くらいしかなかったでしょう。

そんな「口コミ」を伝えて来る元はと言えば、共産主義のコミンテルンの影響を受けたスパイだったりして、かえって危険だったと思います。

 ところが今は違います。

ニュースに疑問があれば新聞、

新聞に疑問があれば週刊誌、

週刊誌に疑問があればSNS、

SNSに疑問があればユーチューブ

ユーチューブで不明ならメルマガ、

メルマガでわからなければオンラインサロン、

オンラインサロンでも不明なら直接のネット情報など、

探そうと思えば、自分自身で様々な媒体を選ぶことが可能になっています。

 事実、今や多くの人が

これら全部と言わなくても

かなりの数の情報媒体を見ていると言ってもいいでしょう。

 複数の情報媒体を通じて情報を得ていると、

次第に誰が「嘘」を流しているかが分かってきます。

 そして当然ながら「伝えられない情報」が何であるかもはっきりしてくるのです。

最近の例でいえば、ある疾病についての情報のメディアの伝え方は、極めて偏りがあることに普通であれば気が付きます。

これはほとんどTVしか見ない高齢の方でさえそう言っていたので

ごく自然な感想なのでしょう。

 そして、それについて不自然だと感じることが出来たのであれば、

今度はこれを防止するワクチンについての危険情報が

相対的に少なすぎることにも自然と気がつくはずです。

少なくとも自分や家族の身体の安全にかかわる事だからです。

 そして、もし自発的にネットで調べることをすれば、

メディアのみならず、国の機関からの公表自体が制限されていることにも、気づくことになるでしょう。

だとすれば

内容はともかく、最小限この事実について

「なぜかな?」という疑問くらいは持つべきではないかと思います。

情報媒体をできるだけたくさん持つ

 情報社会と言いながら、流されている情報の「同質化」は日々進んでいます。

 クロスオーナーシップ(複数のマスメディアが同一資本傘下に置かれていること。わが国では制限されていない)や記者クラブ制度などその要因になっている客観的な事情もありますが

昨今SNSでも、次第に色々な情報が削除されたりしているのを見るにつけ

私たちは、やはり今でも立場の弱い「情報の受け手」に過ぎないのかと、不安に思ったりもします。

 ただそうは言っても、インターネットは広い海のようなものですから

すべての情報が統制されるという事は、さすがに無理でしょう。

アクセス制限のようなものがかからない限り

私たちがたくさんの情報媒体を持つことは、まだまだ可能です。

そういう媒体をいつも比較していることで

「嘘」の情報によって

必要以上に不安になったり、

不利益を受けることを少なくすることができるのは、間違いありません。

 だとすれば、特定の情報媒体を信じてしまうことを避け

いつでも複数の媒体を比較するようにすべきです。

「嘘」という程のものでないレベルの事でも

媒体が異なると、イメージが全く違うこともよくあります。

そして判断材料が多いという事は、より正確に判断をできるということにつながると思います。

 今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。

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