情報操作の古典的手法
情報が、政治的な支配において極めて重要な意義を持っているということは
何も最近に始まったことではありません。
元々戦争などにおいて、情報を上手く操ると言うことは太古の昔からとても重要な戦略でした。
前にも何回か書きましたが
流言飛語によって敵のマイナス情報を流して寝返りを誘ったり
過大な恐怖を自陣に与えて、敵愾心を強めたりするようなことも日常的に行われてきました。
例えば太平洋戦争については、情報戦に負けた日本がアメリカの高度な戦略によって、
宣戦布告なく先制攻撃をする形で戦争に突入するように追い込まれてしまい
結局その後、すべての汚名を負ってしまったと言う話も
真偽はわかりませんが、今や有名な話になりつつあります。
また敗戦国になってしまったために、全ての裁判官が戦勝国側の人間によるという東京裁判で
刑罰法規不遡及の原則に反する、
一方的な「平和に対する罪」という新しい罪で裁かれてしまったというような話も
振り返ってみれば、すべて情報戦への敗北が招いた結果だったように思われます。
ただ一人、罪刑法定主義違反を主張し「全員無罪」を主張したインドのパール判事のような人物を
裁判官として他に揃えられなかった時点で、
日本は戦争に負けた上に、情報戦でも負けたと言うべきかも知れません。
負けているのに、「勝ち続けている」と官民一体で自国民を扇動し続け
「最期は竹槍で戦う」ということを信じ込ませるような事をしていて
外国の百戦錬磨の情報戦のプロに
勝てるはずもなかったのだろうと思います。
偽りの情報に無頓着な日本人
日本人は「偽りの情報」というものに、極めて無頓着です。
「お上が悪い事をなさるはずはない」
「TVが嘘を言うはずはない」
「新聞はジャーナリスト精神に基づいて、正義のペンで世の中を鋭く批判してくれて安心」
冗談ではなく、今でも本気でこの3つすべてを信じている人の割合がかなり高いと思われます。
とても善良な国民であり、その事自体、本当は誇らしいことであるのですが
残念ながら、昨今の世界情勢の中では、危険な事この上もありません。
もはやメディアを信じ切っている人々は
「オオカミの前で、ニコニコほほ笑んでいる羊たち」みたいなイメージを
持たれている可能性があります。
しかし、メディアや政府を「信じきっても安心」という状況は
おそらく過去に一度も、現実には無かったというのが本当なのではないかと思います。
多かれ少なかれ人々は、ずっと以前から
真実ではない情報を受け取り続けています。
その現実をまずしっかりと認識することがスタートラインです。
情報操作は、偽りの情報が大量の「信頼できる情報」という形で人々に流布され
それを多数派の人々が信じると言うことで行われてきました。
真実を打ち消す形での情報操作
情報操作を効果的に行う方法としては、
ただ積極的に「嘘」を流す手法だけよりも
同時に、真実を「真実ではない」と信じ込ませるやり方を併用する方が効果的であるようです。
例えば
Aという偽情報を大々的に広めつつ、
Bというそれと正反対の真実の情報を隠すのではなく、敢えて積極的に公表をして
「Bというありえない虚偽の情報を流す悪者がいる」という形で叩き
これを打ち消してしまうやり方です。
関ヶ原の戦いの際に、徳川家康は豊臣家の遺子豊臣秀頼について
「自分は秀頼君を守り豊臣家を守っていくから、悪い事は決してしない」ということ(偽情報)を公言していました。
もちろん、自分の天下取りのために利用する機会をうかがっていたのは明白なのですが、
単にこれを公言するだけではなく、
策謀(戦略と言った方が正しいかと思いますが)を企て
「誰彼は秀頼君の世を妨害する謀反人である」という情報でっちあげて
ターゲットとなる大名をピックアップして
情報の面での追い込みを謀りました。
「徳川方に味方しないとまずい」という気持ちにさせていったのです。
その中で例えば
豊臣家の主要な家臣や秀頼の母淀の方などに対しても
自分がいかに豊臣家のためを思っているかをアピールして
徹底的に「敵が悪者」というイメージを作り上げて
戦う前にすでに関ヶ原の勝利を固めてしまいました。
実に見事な情報戦略であり、
単に豊臣家の未来と秀頼の安泰を、当時で言う「義の精神」で守ろうと
純粋に思っていただけの石田三成が、勝てるはずもなかったのかもしれません。
役者が違いすぎたという感じです。
「どちらが正義か」と言えば、
嘘をつきまくった徳川が悪で、三成やその味方の上杉が正義という味方もできます。
しかし歴史は、常に勝者によって記述されます。
現実としては、少なくとも江戸時代の間
石田三成が、極悪人にされ続けてしまったことは言うまでもありません。
情報戦と言うものは、常にそういうものであるということは
歴史を勉強すれば、すぐにわかることです。
「陰謀論」という言葉
最近本当に急に「陰謀論」という言葉が
世にあふれてきています。
そんな言葉は、以前どこでも聞くことはあまりありませんでした。
であるのに、なぜこのような言葉が最近流行しているかと言えば
それは、情報操作をするのにはとても便利だからです。
「陰謀のようなありそうもない話」と言う代わりに
「陰謀論」という分かり易いキーワードを作って
真実であろうとなかろうと、そのジャンルに無理やりに入れてしまって
そこから先の吟味を、人々がしないようにしようとして出来た言葉だと思われます。
案の定、「陰謀論」と言われれば
多くの人々は、その内容がどんなものでも自動的に「ありえない」と返します。
内容の当否をWEB上で調べる事すらもしません。
多くの場合官公庁や大学、あるいは研究者自身から
正式な発表がされているデータを、今は簡単にWEB上で見ることができますが
テレビで「陰謀論」と言われ、
コメンテーターやお笑い芸人が
「そんなはずないでしょう」と笑えば
それでおしまいです。
調べたりしなくても「陰謀論」だからという事でしょうが
そのように呼ばれている物事の中には
極めて重要な真実の情報がまぎれている事が
最近ではよくあります。
大変危険な事です。
「陰謀論」ではない「正論」が闇に消えてしまっている可能性について考えてみることは
情報操作の被害者にならないために、今やとても重要なことだと思います。
「陰謀論」かどうかを決めるのはメディアではありません。
あなた自身であるべきです。
正しい情報を、どうか一度でいいので検索してみることをお勧めします。