【大きな誤解】受験勉強への幻想

幻想を抱く受験生

 長く受験生を見て来て

失敗する例も多く見ました。

その中で割とあるのが

受験というもののイメージを取り違えている場合です。

 前回、受験などは「ペーパテストで合格点を取るためだけのものに過ぎない」と書きましたが

そのことを忘れてしまう受験生が

これに該当します。

 前回の表現で言えば

受験を「天竺に経典を取りに行く修行」だと思い込んでしまっている状況です。

 「合格に必要な準備」を考える

 どういうことかと言うと

入試や国家試験と言うのは

ペーパーテストで一定のレベルの得点を取れば

学問全体への深い洞察

真の学問的体系の理解

などは必要とされていません。

もちろんそれがあれば鬼に金棒なのでしょうが

少なくとも

ペーパーテストで

そのような「真の学力」?と言うようなものを

検査することなど無理だからです。

 そして合格点を取りさえすれば

試験以降は

「合格者」であり「資格者」であることになります。

他人はそれを高く評価してくれます。

その人の学問的素養などがどうであれ

合格によるパスポートを手に入れて

より大きな活動をすることができるのです。

 このことに思い至ると

受験というものは

「合格に必要な準備」だけを

錐のように鋭く周到に行い

不要なことは1つもやらない

これがベストな対策であるという結論になります。

 教養的学習や難易度の高すぎる方向へ迷い込む

 受験について

真剣に考えれば考えるほど

森に迷い込んでしまう

そんな受験生が時にいます。

 これは受験を

上記のように「崇高なもの」と考えすぎてしまう場合や

難易度が最高の出題がされる

「すべての学習結果が問われる試金石」というような

過大なレベル評価をしてしまう場合に起こります。

 口をそろえて言うのは

「もし試験に出たら困るから」という言葉です。

過去問題を見て

実際に何度もやっていても

「今年この一番難しい問題がたくさん出てきたらどうしよう」

「傾向が変わって、もっと深い思考が問われるかもしれない。そのためにはいろいろな本をもっと読もう」

「社会情勢も出題に影響をしてくるから、常に時事的な事にも気を配って情報収集しよう」

といったようなことを思ってしまい

本来必要な事から脇にそれてしまうのです。

 過去問題をやるとわかりますが

どのような入試、どのような国家試験でも

合格点を満点の所には持っていくわけにはいきません。

多くのテストの合格ライン(受験の場合なら偏差値50レベル)は

試験ごとの個別事情にもよりますが

低い場合で6割程度、高い場合でも7割5分程度位で合格するような仕組みに作られています。

 そうしないと合否判定が大変難しくなってしまうからです。

 また実力比較をフロック(まぐれ)に影響されない形でしやすいのも、これくらいの位置だと言われています。

 これを前提に考えると

難易度が非常に高い問題を、問題に一定程度含ませないと

試験の合格点を、適正な位置に置くことができないのだということが分かります。

 そうすると

難易度の高い問題は

「取れなくても構わない」

という意図で出題されていることが多いと言えます。

事実、国家試験の出題を見たときに

「こんなの正解する人いるの?」という問題が

毎年出される試験もいくつもあります。

受験を誤解している人は

「こんな出題は間違っている」と主張したりしますが

間違っているのはその人の受験観です。

その問題の隣には

実は、誰でも解ける易しい問題が出題されているからです。

 試験が「言っていること」は何か

 入試や国家試験では、実際にそう思っているかどうかは別として

問題を通して試験出題者が、受験者に伝えたいことが必ずあります。

 それは多くの場合

「難易度の低い問題や中程度の問題をしっかり正解して、実力を見せなさい」という内容だと思います。

間違っても

「高度な問題が解けることを示しなさい」ではありません。

言い換えると

これが試験が「言っていること」だと思います。

だからどうか

難しい問題の対策に走ったり

教養的な学習、深みのある学習を追求し始めることをしたり

出題と離れて議論をする日々に陥ったりするような

「合格に必要な準備」とは言えないことをしてしまうのだけは

避けるようにすることをお勧めします。

今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。

 


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