【上達するという事】「ボタンを留めること」と「ユークリッドの互除法」

できなかったことができるようになる

 人間は生まれてから

毎日が進歩の連続です。

大人になるとそのスピードや程度は

ずいぶん小さくなりますが

子どもの頃は

進歩と冒険の毎日でした。

 本当に自分の記憶をたどっていった先

そのまた先に思い出されるのは

「ボタンを留める事」が上手くできなかった幼児の頃の記憶です。

やり方は親のやるのを模倣して

やれそうな気がするのですが

どうしても上手くはめられず

あるいは違う所と組み合わせてしまったりして

かなり毎日苦戦して練習をしていたのを

何かの際にふと思い出したことがあります。

恐らく自分の記憶の中では2番目位に古い記憶だと感じていますが

そういうなかなかできず歯がゆかった記憶が

確かにあります。

 でも当然と言えば当然ですが

今では酔っぱらっていても

ボタンを留められないという事はありません

目をつぶっていても楽々それをすることができます。

今後老化が進んで上手くできなくなるようになってくるのかもしれませんが

少なくとも後20年くらいは大丈夫でしょう。

ユークリッドの互除法

 話は変わり

高校数学でユークリッドの互除法というものがあります。

最近指導をする機会が多くて気になっている単元なのですが

とにかくどの生徒も最初は

「何をいっているのかさっぱりわからない」

と感じる初手が難解な単元です。

丁寧に理解を進めていけば何でもないのですが

最初の取っ掛かりが

とてもわかりにくく感じてしまう学習内容なのです。

 そこで途中で挫折して

わからないままにしてしまう生徒は

実はかなりいます。

あと少し丁寧に時間をかけさえすればできるのに

全く惜しいことです。

習い、練習して、マスターして、繰り返す

 冒頭のボタンの留め方の話とこのユークリッドの互除法の話は

あまりにかけ離れていますが

何かを学びマスターしていくという点では

何も変わることはありません。

 ところが

ボタンを留めるということを練習した際には

恐らくほぼすべての人は

「できないかもしれない」

なんてことは全く考えもしなかったはずです。

「できるかな」と言うようなことも思っておらず

「やったらできるはず」としか思っていなかったのではないでしょうか。

 いつの間にか私たちは

色々な失敗を重ねることで

「できないことがたくさんある」

という事を事実以上に思い込んでしまっています。

ユークリッドの互除法で

つまずき挫折する人を目にするたびに

本当に惜しい気がしてしまいます。

「出来るに決まっている」という前提を持って

果敢に進んで欲しいと思います。

今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。

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