【情報リテラシー】気づいていますか?「誰が本当に権力を持っているのか」

真実を知ることの重要性

 私たちは日頃、自分や家族の安全を願って暮らしています。

そしてそのために色々な事をします。

仕事を一生懸命やって生活を安定させようとしたり

貯蓄をしたり保険に入って万が一に備えるのもそのためです。

 では私たちが安全で平和で安穏な暮らしを続けていくために

もっとも重要なものは何でしょうか。

私は「情報」ではないかと思っています。

嘘を見抜き正しい情報を得ることは

すべての未来へのステップの前提にあるからです。

偽りの情報がもたらすもの

 ここからは、あくまでも仮のお話です。その前提でお読みください。

 もしも情報を伝える媒体が1つだけしかなく

その媒体が意図的に嘘の情報を流していたらどうなるでしょうか。

たとえば

「今こんな歌が流行っていますよ。全米でも大ヒットしていて、日本の若者にもすごく人気です」

誰一人聞いた事がない歌でも、人々はそれを購入して聞こうとするかも知れません。

 逆に本当に実力があるミュージシャンも、全く宣伝がされなければ、なかなか人々に音楽を聴いてもらうのは難しいでしょう。

たとえば

「A国で大変危険な病気が発生しました。この病気は今治療法がありません。しかしある一定の人にしか感染しないとわかっています」

「ある県でこの病気の感染が広がっています。原因調査の結果、感染源となった男性がわかりました」

こんな報道が十分な調査もされずにされたらどうでしょうか。

情報が少ない場合には、特定の人たちや特定の人に対する大変な人権侵害が起こってしまい、地域社会にも大きな影響が起こってしまうことでしょう。

たとえば

「C氏には『不正に献金を受けている可能性がある』という情報があり、だとしたら許されないことです」

こんな偽りの情報はどうでしょうか。

 C氏が国民のための活動を真剣に行っていて、それによって自分の利益を害される反対勢力が嘘を意図的に流したとしたら

十分に調べもせずに決めつけるのは、国民自身が自分の首を絞めるのと同じです。

 このように「情報」を伝える媒体が偽りの情報を流せば

特定の人たちの利益を奪ってしまうことなど、ごく簡単にできてしまいます。

逆に、特定の人々の利益を守り続けることも容易なことです。

情報の独占の終了かと思われたが

 情報は長く一部の人々に独占されていました。

 太古から重要な情報を握っていたのは

政治の中枢にいる人たちと決まっていました。

それ以外の人たちは、何も知らされず暮らしてきたのです。

 近代になって、為政者に対抗するため人権思想が発達して

人類はようやく「表現の自由」というものを手に入れました。

この表現の自由というものには、その当然の前提として情報源にアクセスする権利

つまり取材の自由や知る権利などの保障というものが想定されます。

 このようにしてやがて報道機関が発達して、政府が勝手に情報を独占して国民に害を及ぼすことを監視するシステムが構築されました。

このシステムは、現代の民主制の根幹をなす重要な役割を果たすものと期待され

実際多くの人々の人権を守ってきました。

 そして、これで「情報の独占」がついに終わり

「国民にとってバラ色の世界がやって来る」

誰もがそう思っていました。

 ところが実際にはそうではありませんでした。

権力は必ず寡占を目指し、やがて腐敗へ向かう

 メディアは元来が「国家権力を制限する」という名目のもとに作られたため

発想の始めからそれは「正義の機関」と思い込まれていました。

だからその権限を制約するすべての力が及ばないように、法制度は構築されたのです。

 しかしメディアは次第に資本主義の下で資金力をつけて、民主主義社会の中で大きな社会的な力を持ち始めました。

文字通りマスメディアという社会的権力を持つ巨大な存在になってしまったのです。

 最初は国民も、まさか自分たちを情報操作するようになっているとは誰も思いませんでした。

あくまで「ジャーナリストは正義の味方」だと信じていたのです。

 ところが社会権力であっても、権力である以上やがて寡占を目指し

外部からの軌道修正が働かない場合には、残念ながら腐敗の方向へ向かうのは避けられなかったのです。

 実際の現在のマスメディアについてどうかという事は

私が論ずるべきことでもないので、ここではこれくらいの留めますが

今や以前と比べて信用低下が顕著になっていることは、読者の皆さんもご存知の通りです。

新しい社会権力の登場

 このようなマスメディア離れが進み始めたのは、インターネットの登場で

人々が情報を得る手段を新たに獲得することができたからです。

 そこでは、すべての人が情報発信者となるため

偽りの情報もありますが、真実の情報もたくさんあります。

嘘をついても隠し切れない状況があり

憲法の本に必ず書いてある

「言論の自由市場」というものが

遂に世界に広がる、夢のような時代がやってきたのです。

 何が正しいことであるのかは

豊富に流通する情報を自分で確認して、自分自身の頭で判断することができます。

 メディアを通じた情報というものには、多かれ少なかれ

発信するメディアの意見に沿って情報が加工されていましたが

ネットでは加工が少ない情報も多く流れており、

確かに、嘘に騙されることもあり得るとしても

そのマイナスを大きく挽回するに足りるプラス面がある世界だと言えます。

「情報」は他人のものでなく自分自身のものとなったのです。

 そしてそんな中インターネットの花形ともいえるSNSというものが登場して、

瞬く間に人々はSNSなしでは暮らしていけないほど、SNSの情報に頼るようになっていきます。

プラットフォーマーをすてたSNS

 SNSはこのように現実に「情報」を人々の手に取り戻させた素晴らしい存在です。

 しかし、その素晴らしいSNSについても

何時の頃からか、SNSがプラットフォーマーとしての役割を超え始めてしまっているという声が聞かれるようになりました。

 情報流通の場(プラットフォーム)を提供するだけでなく

情報に対して一定の判断を下すようになったと言われ始めたのです。

 それはSNSポリシーに基づくものだとの主張がされていますが

マスメディアが「正義のために」断罪をしたのと似たような構図が危惧されるのは

やむを得ない所かも知れません。

 これについても私は意見を言う立場でもないので、あくまで時代の変遷のみを書くにとどめますが

 このように「情報」というものは、太古の昔から今の今に至るまで

人々がそれを自分たちのものにしようとするたびに

いつも「独占化」「寡占化」される方向へと揺り戻されてきているものだと言えます。

情報について一度今の環境を見渡してみてください

 私が今回の記事で言いたいことは

「情報」というものの持つ大きな価値

「情報操作や嘘」による巨大な損失や危険

というものに、あまり気づいていない人が結構いる気がするので

一度今の情報環境というものを見渡してほしいということです。

 そしてもう一度

メディアやSNSに書いてあった言葉や主張によってではなく

自分自身の頭で

「これって本当の事だろうか」

「自分が知っているのはごく一部の情報かも知れない」

「判断材料はほかにもないだろうか」

といったことをよく考えて見て欲しいと思います。

 そういう目で見ること、つまり自分の考えが先にあってからの情報収集は

誰かの目で見たことをそのまま与えられたのとは、大きく異なって

正しい何かを見抜くきっかけになるに違いありません。

今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。 


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