【教師向け指導のコツ】「伝えたい気持ち」なぜ近所の親父の話はわかりやすいのか?

わかりやすい話と正確な話

 私たちはいろんなところで人の話を聞く機会があります。

そうすると自然に

わかりやすい話をする人と

難しそうな話だけど自分にはちょっとわかりにくい話をする人がいることに気付きます。

 今はネットで動画を簡単に見ることができますが

動画チャンネルで話をするのを見ていても

内容の善し悪しと別に、話のわかりやすさを見た場合に

ずいぶんわかりやすい語り方をする人と

話が行ったり来たりして聞いていて、むしろこちらが疲れてしまう人がいますね。

 話が下手な人の特徴については、以前にも触れましたが

①とにかく正確なことを言おうとしすぎている

②筋道を追って話さず、自分の頭の中にある黒板をそのまま伝えようとする(聞き手の頭の中には黒板はない)

③話をしている時に、話を自分の頭を使って伝えようとしていない=話の世界に自分自身が入っていない。

と言うような特徴があるようです。

①は、国会の答弁だったりお役人の説明のような話がこれにあたります。

言質を取られないように話す場合には、どうしても正確なことを言わないといけない面があります。

わかりやすく話すための場面ではないから、そういう場合には分かりにくい表現になってもある程度は仕方がないのかもしれません。

しかし、そういう場面でなくても、敢えて細かいことを正確に言おうとする人がいます。

下手な説明をする教師がこれにあたります。

たとえば数学の授業で、最初に何の前振りや前提もなく、グラフを見せて説明しようとしたりする上に

「この横軸は時間の経過を表して・・・、ああもちろんここで時間と言うのは秒になるね」

などど細かいことをくどくどと説明しはじめたりします。

生徒は最初の数分で、もう興味を失ってしまうことが確実です。

確かに、話自体は正確ではありますが、

全体像も何も示されないまま、ディテ-ルだけ正しくても聞き手にはよくわかりません。

 初めて象を見た人が尻尾をみて

「これは棒だ、かなり皺があり固い棒で、材質はおそらくゴム系のものに違いない」

などど言っているのと同じです。

 まず相手には

それが全体的に「鼻が長く巨体の生き物である象」というものであることから切り出されなくては

よほど理解力がある人でなければ、話がよくわからないのは間違いありません。

 簡単に言うと「正確な話は、つまらない上に相手によく伝わらない」のです。

正確なことが何かは、資料を見ればすべてわかるのですから

話をする際には

「このグラフは凄いことを示している。わかるか?」

というような、興味を持ってもらえる導入のやり取りをした後で

「細かいことはまた資料を見て順にやっていこう」

という説明でも、最初は良いのです。

頭の良い人が脳内に持っている黒板やノート

 割と勉強ができる人は

自分の頭の中に知識が整理されている「脳内黒板」や「脳内まとめノート」のようなものを持っているように思います。

当然生徒を指導したり、人に知識を伝える時には

それを思い出しつつ話をして行ってしまいがちなのですが

意外にこれが大失敗につながります。

 というのは、聞き手の理解と

自分の頭の中のその情報が整理されている引き出しからの切り出しが

同じ程度のレベルであれば上手く行くのかもしれませんが

少しでもずれていれば

そのギャップが原因となり、なかなかうまくいかないのです。

 たとえば

話し手が平方根(ルート)についてさまざまな知識を持っていて

それを初学者に説明しようとするとします。

話し手の頭の中では

平方根は、たとえば「4の平方根は±2、7の平方根は±√7」というように

図面的に整理がされて情報が集約されています。

そこで、詳しく説明してあげようと思い

「二回かけ合わせて4になる数を4の平方根というんだよ。プラスの場合もあればマイナスの場合もあるから±(プラスマイナス)という形でこう書くのだよ」

というように説明します。

そして次に、

「7の平方根については整数にならないからルートを使って表す」ことを

手順どおりに進めていこうとします。

通常は生徒たちは、そこで納得して問題を解きますが

「先生16の平方根は±√16ではいけませんか」と聞かれたときに

普通の教師は

「だめですね。整数の4があるので±4と表わします」

と答えます。

すると、好奇心にあふれた生徒はこう聞き返してくるかも知れません。

「でも問題文に√16って書いてあるのがあります。これは印刷ミスですか」

と質問をされたらどうでしょうか。

慣れていない教師は、ここでどう説明していいか少し悩むところです。

自分の頭の中では想定していなかった、彼にとっては変な質問だからです。

しかし生徒を指導していると、思いもよらぬ質問はよくあるものです。

むしろ変わった質問をする生徒こそ、発想力や好奇心に優れたところがあると評価すべきでしょう。

 ところが以前私が講師をやっていた頃に、こういう場面で

何と「これは無視していい」とだけ答えて、先に進もうとした教師を見たことがあります。

慌てて私が代わりに割り込んで

「√16という数は存在するけれど、平方根を答える問題では、『簡単な数字にできる場合は簡単な数字で答えないといけない決まり』になっているから、4という整数に出来る場合にはルートを外した4を優先して解答として書くのだよ」

と説明をしました。

説明をしていた教師の頭の中の黒板には、どうやらこういう質問が来た場合のマニュアルは書かれていなかったようです。

 人を相手に話をするという場面では、あらゆる方向から質問がされるという可能性があります。

自分とは発想が異なる考え方で質問がされることもある以上、その現場で頭を働かせていないと

対応は難しくなり、結局話についても現場に即した話ができないということになってしまうのではないかと思います。

簡単に言うと、柔軟性を持って対応できる準備をするには

「固定のテンプレートを頼りにしすぎるのは危険」だと言うことになるでしょうか。

実際の様子を想定して話す

 ③については前にも書いたことがあります。

道案内を上手にする人は、自分がその道を歩いて行ってどういう風に進むかを想像しながら話をしますが

下手な人は地図を思い浮かべて話をするというお話をしました。

これは結局相手からすると②と似た面があり

②でお話しした脳内黒板がこの場合の脳内地図と同じものであるかも知れません。

話し手が聞き手の立場を想定して話を組みたてていないので

非常に伝わりにくいのです。

そして、これは話し方が上手い下手という事ではないことに注意が必要です。

たどたどしくても

聞き手の要望に即した情報伝達は、見事に聞き手の需要を満たします。

近所の親父の話

皆さんにももしかすると覚えがあるかも知れません。

子どもの頃、何か親と行き違いがあって

イライラしていた時に

近所の親父さん(おばさんでもいいですが)が

「それはね、きっとこういうことだよ」

というような腹を割ったような話し方をしてくれた時

心にスッと落ちていくような腑に落ちるわかりやすさを感じた事がないでしょうか。

 特に話術に優れているわけでもないのに何か良くわかる気がする、

でもこれは不思議なことではないのです。

近所の親父さんは、あなたのことを想い

あなたがどういう感情でいるかを想像して

聞き手のあなたのことだけ考えて話をしてくれるから、

聞き手にとってわかりやすいだけではなく

胸を打つ話になるのです。

 究極の所、話をするために必要なものは

聞き手を思う気持ちがあること

相手にその内容を伝えたい気持ちの強さ

この二つなのではないかと思います。

 いくら頭がよくて、話術が巧みでも

この二つがおろそかであれば

少なくともあなたの目の前にいる聞き手には

「わかりにくい話」になってしまうのかもしれません。

今後も皆さんのお役にたつ情報をアップしてまいります。   

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