勉強には勘違いがつきもの
勉強をしていると、様々な理解の誤りが生じます。
その中でも「勘違い」して覚えてしまっている事と言うのは
意外に自分では気づきにくいものです。
たとえば
「情けは人のためならず」ということわざがありますが
これを「情けをかけるのは本人のためにならない(だから厳しく突き放せ)」という意味で勘違いしている人がたくさんいるようです。
正しい意味は、「人に情けをかけるというのは結局自分のためになることだ」という、自分自身の在り方に関することわざですが
これなどは、言葉の持つイメージで早とちりして勘違いしてしまう例です。
こういう勘違いはなぜ起こるのかと言えば
答えは簡単で、「最初によく意味を確認しなかったか、確認しても不十分だった」というような、初期の誤りがずっと続いているということが多いかと思います。
もっともことわざの場合は、間違った意味で覚えていて困るのは
社会に出た後に、公の場での発言やスピーチだったり、取引先の人と話をしていてふと間違ったことを言ってしまって引かれてしまうというような状況だと思われます。
もちろんそれはそれで、大変恥ずかしい思いをすることになりますが
学生の場合にはテストでことわざの問題が出ても、他のことわざとの区別を記号問題で聞くような場合が多いので、意外にこのような勘違いは表面化しないのです。
だから、逆になかなか間違いに気づかないことになるのかもしれませんね。
慣用句
これと異なり慣用句では、たとえば
「体の部分を表す言葉を使った慣用句を1つ書きなさい」とか
「慣用句とは言えないものはどれか」というような
少し突っ込んだ出題もあるため
勘違いが表面化することが多いように思います。
実際指導をしていても、「慣用句の勘違い」には多く直面します。
そもそも「慣用句」とは、習慣として長く使われて(慣用されて)きたために、個々の語句の本来の意味とは異なる意味を持っている言い回し・文句を言います。
たとえば「鼻が高い」という言い回しは、
そのまま受け取れば、単純に「物理的に鼻と言う器官の高さが高い」という意味になりますが
慣用句としての意味は、「自慢である」「誇らしい」という意味になり、本来の意味とは異なる意味を表します。
よくある勘違い
慣用句において初学者に最も多く見かける勘違いは
慣用句としての言い回しと、本来の語法の混乱です。
たとえば上記の「鼻が高い」であれば
「トムはイギリスの出身のせいか、僕よりずっと鼻が高い」というのを慣用句だと思ったりしてしまうという勘違いです。
この場合は物理的に本当に鼻が高いので、言葉は同じでも慣用句ではありません。
「彼は優勝をしたためか、とても鼻が高いようであった」というような表現をする場合が、慣用句としての「鼻が高い」です。
そしてこのような勘違いが多くあるために、
上述のような 「身体の部分を表す言葉を使った慣用句を1つ書きなさい」という問題では
慣用句ではない解答が続出します。
「首が痛い」
「足が長い」
「目が大きい」
身体の部分が入っていればいいと思い込んでいるため、こういう解答が出ますが
もちろんこれらは
実際に首が痛くなり、足の長さが長く、目の大きさが大きいのであって
語句の意味と異なる意味を示す言い回しとなる「慣用句」ではありません。
これらの身体の部分を使う慣用句であれば
「首を長くする」(楽しみにして待つ)
「足が棒になる」(歩き疲れた)
「目が高い」(物を見る目が優れている)
というような表現がありますね。
これらは、いずれも本来の語法とは異なる特別な意味をもつ言い回しです。
しかし勉強をしていると、「これはどうかな?」と言うような微妙な表現もあります。
たとえば
「顔が広い」(交際範囲が広く知人が多い)は慣用句で
「大きな顔をする」(威張った態度や様子であること)もそうですが
似ていても「顔が大きい」と言う言い回しになると、ちょっと違ってきて
やはり実際に物理的に顔が大きいという意味になってしまいます。
この辺りが慣用句のちょっと難しく、でも面白いところかもしれません。
たくさんの慣用句を知るにつれ
そういった微妙な違いにも気づくことができるようになります。
こういうジャンルの学習は
「さあ、覚えなきゃ」と思って学習すると一気に面白くなくなります。
「ええっこんな意味もあるの?」というような気持ちで
楽しみながらのんびり読んでいくような感じで学習すると
その方がむしろ早く覚えていけるように思います。
ぜひ楽しみながらやってみてください。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。