【呉服の語源】三国志と着物の意外な関係とは?

身の回りにも知らないことはたくさんあります

 着物を販売するお店を「呉服店」と言いますね。また着物のことを「呉服」と呼んだりしています。

着物を着る習慣のない人は気にも留めない人が多いですが

歴史の勉強をしていたり、あるいは別の機会に「三国志」に「呉」が登場してきたとき、

「あれ?呉服の呉ってこの国の服なのかな」

と思ったことがある方はどれくらいいるでしょうか。

 たぶん着物の「呉服」と「三国志」の「呉」が結びついた方は意外に少ないのではないでしょうか。

でも改めて考えると

「呉服ってどうしてそんな呼び方をするのかな」って思うかと思います。

気になるところですね。

呉という国

 呉という国は現在の中国の蘇州あたりに興った国で、古くは周代や春秋から栄え隋代や五代十国の時代などにも存在していた国ですが、

日本人が一番印象強く覚えているのは、やはり三国志の中の呉ではないかと思います。

三国志は、中国の三国時代を書いた書物ですが、

曹操によって創始された魏(初代皇帝は曹丕)

劉備が軍師諸葛孔明らと興した蜀

孫権が興した呉

この三国が中国大陸においてお互いに牽制し合っていたころの物語を書いたものです。

 多くの方が、三国志を物語や漫画・アニメ、あるいはゲームなどいろいろな形で知っているのではないかと思います。

着物との関係は?

 歴史を勉強しているとわかりますが、中国の魏の歴史書である魏志倭人伝に

卑弥呼と邪馬台国の話が書かれていたとされています。

そして魏の時代=三国時代がいつごろかというと実は日本はまだ弥生時代だったのです。

呉はその頃栄えていたということになりますから、

そこから今風の着物そのものが日本に伝わってきたというのは、日本の文化のことも考えてもおかしな話です。

どうも大陸から日本にわたってきた渡来人が、呉の織物の技術を伝えたというのが本当のところのようです。

 最初は「呉織」と書いて「くれはとり」という言葉だったようですが、それが「呉服」という呼び方になったようです。

「呉織」という言葉を見てもわかる通り、伝わってきたのは反物(織物)=織物の技術で、着物自体ではありませんでした。

だから今の日本の着物を、呉の人たちが着ていたわけではないのです。

でも「呉服」の元の織物に、やはり「呉」の国が関係していたというのは

なんだかロマンを感じる話ですね。

正確には、今でも「呉服」は完成品の着物ではなく、織物のことを指すのが正しいらしいです。

「?」を大切にする

 身の回りには何気なく使っている言葉や習慣などの中にも、意外に「これどうして?」と思えることはたくさんあります。

いわゆる学業の面での勉強には、そういうことはあまり関係がなく

人によっては、そういうのは「蘊蓄(うんちく)」と言って

「知っていて何になる。お酒の席で語るくらいしか役に立たない」などと思っている人もいるようです。

でも何事にも「?」の気持ちを持っていろいろと考える事は

他の面でも役に立つことばかりだと思います。

その知識自体が大切なのではなくて、

「なぜそうなのか?」という疑問を持てる考え方が役に立つのです。

 少しのことでも興味を持ち好奇心を持てるということは、

自分の知らない世界に自分を常に導いていけるということではないでしょうか。

世界は知らず知らずに広がると思います。

 もし何かを見たときにいつも無感動・無関心でいるのならば、同じ人生を送っても大きな損をしてしまっているのかもしれません。

皆さんも身の回りに「?」となることはないか、チェックしてみるといいですよ。

今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。

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